宙ぶらりん映画祭
— 宙ぶらりん映画祭 (@chuburarin_eiga) April 30, 2025
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宙ぶらりん映画祭🎬
— 宙ぶらりん映画祭 (@chuburarin_eiga) April 30, 2025
施設内装飾紹介🌟
手作りブランコを川崎市アートセンターにて展示しています !
こちら、なんとスタッフの手作り!
制作過程も合わせて見てみてください😊
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映画館で心地の良い
宙ぶらりん体験を
今年のテーマは「宙ぶらりん」です。この語を辞書で引いてみると「空中にぶら下がった状態。どっちつかずで中途半端な状態」と出ます。どうやらあまり良いニュアンスでは使われない言葉のようです。確かに昨今よく聞くようになった「タイパ」や「コスパ」が重要な世界では、どっちつかずで中途半端なヤツなど単なる足手まといかも知れません。
しかし、私は映画館という暗闇の中で映画を観ている時に、そういったネガティブな雰囲気ではなく、むしろ心地の良い「宙ぶらりん」を体験することがあります。それはきっと映画を観る際に、主人公を善悪でジャッジするために観に行く人が少ないように、映画側も私たちをジャッジしようとはせずただそこに在るだけだからではないでしょうか。映画を観ている時の沈黙には、タイパやコスパでは取りこぼすような、雄弁で豊かな語りが溢れているはずです。
ということで、今回の映画祭ではそんな「宙ぶらりん」を皆さまに存分に堪能して頂く為に、一見すると「曖昧」や「よく分からない」、「そういう世界もあるよね」という言葉で片付けられてしまうような状況や関係性、主人公の映画を9本セレクトしました。善悪や常識では語れないような不思議な魅力に満ちあふれた映画たちによって、少しでも自分の心の声、自分の呼吸のリズムに耳を傾けてもらえたら幸いです。
この上映会は日本映画大学の3~4年生が受講する授業「上映企画ワークショップⅠ・Ⅱ」の仕上げとなるイベントです。担当教員の私は今年からの新参者で、大学も、この町も、まだ右も左もわからぬ「宙ぶらりん」な状態です。さまざまな映画の中にある「宙ぶらりん」を観て、ほっと一息ついてみる。彼らの掲げたコンセプトはまさに私のような人に必要なのかもしれません。皆様もぜひ、映画館で宙ぶらりんを楽しんでみてください。
ある夜、ブルジョアの邸宅で晩餐会が催される。会が始まると、なぜか使⽤⼈たちは次々と姿を消し、晩餐を終えた招待客は夜が明けても外に出ることができない。ついには⾷料も底をつき…。⼈間の基本的な欲求が満たされなくなるにつれ、彼らの社会性は急速に崩壊し、⼈間性の仮⾯が少しずつ剥がされてゆく。
不条理やシュールという⾔葉の先にある、私たちが映画に求める「意味」。(髙⽥)
安部公房の長編小説が原作。液体空気の爆発事故で⽕傷を負い顔を失った主人公。同業者や妻にまで拒絶された彼は、顔の全てを変え「他⼈の顔」になり、⾃⼰回復のため⾃分の妻を誘惑しようとする。「⾃分は誰でもない純粋な他⼈だ」。「他⼈の顔」という新たな仮⾯をつけることで、⾃⼰と他者との関係性の変化が徐々に露呈していく。
「他⼈の顔」をつけ誰でもない⾃分という⾃由を⼿に⼊れた時、他者との関わり⽅や⼈格はどう変貌するのか。(迫間)
シナリオが書けず苦しむ映画監督の日常を、虚実織り交ぜながら独特なユーモアで語る。誘惑に負けてしまう情けない主人公が肥大化した自意識の中で必死にもがく姿は、自ら主演を務める渡辺紘文監督自身にも重なる。「見る」「見られる」という映画の特性を最大限活かした“超”極私的作品の、映画に対する愛憎が、創作に対する想いが、いま爆発する。
鬱屈した繰り返しの⽇々の中で⾃堕落な⽣活を送る主⼈公の姿と、思わず笑ってしまう不器⽤さや哀愁漂う様。(森本)
幼少期のトラウマが原因で⾃分を制御できず、すぐに怒りを爆発させて容赦なく暴れてしまう少⼥ベニー。彼⼥は⾏く先々で問題を起こし、施設をたらい回しにされる。ベニーはただ、ママのもとに戻りたいだけなのに。そんな中、⾮暴⼒トレーナーのミヒャの提案で、⽔も電気もない森深くの⼭⼩屋で隔離療法を受けることに…。
愛されたいと思えば思うほど、⾜掻けば⾜掻くほど、ベニーの居場所が失われていく。(栁⽥)
あみ子は風変わりな女の子。優しい家族と穏やかな広島の風景に見守られて、真っ直ぐ純粋に育った。そんなあみ子はもうすぐ生まれてくる弟とトランシーバーでお喋りするのを楽しみにしていた。しかし、大雨の中家を出た母は弟を連れて帰っては来なかった。ずっと変わらぬ瞳で世界を見つめ続けるあみ子によって、周囲はどんどん変えられていく。
あみ⼦の瞳が⼤好きだ。あの⽬に映る世界なら、どれだけ残酷でも無垢に信じようと思える。だけどちょっとだけ怖いな。(桑原)
大型台風が接近する信州の田舎町。中学生達がやり場のない感情を高ぶらせていく姿を活き活きと描く。激しい雨風が吹き荒れるなか、さまざまな混乱に陥った数人の生徒が学校に取り残されて…。台風の到来によって生まれる非日常的な興奮や狂気。1985年・第1回東京国際映画祭のヤングシネマ部門グランプリを獲得した相米慎二監督の代表作品。
彼⼥らを突き動かす、あの不気味な⼒は⼀体何だろう。なぜ下着で踊る? 蹴り続ける? なぜ夢中で観てしまう?(桑原)
2001年、自分の居場所を探し求める若者たちが集う街、渋谷。当時日本映画学校の学生だった監督の島田隆一は、一人路上で歌う吉村妃里に魅了され、ドキュメンタリー実習の被写体として撮影、取材をする。映画制作が中断、卒業した後も未練が残る島田は過去の自分に決着をつけるため、10年後再び彼女に会いに佐賀へ向かうが…。
行く宛てもなく渋谷を彷徨う彼女自身の心と、先の見えない将来の夢や希望。全てが予測不可能なところ。(迫間)
結婚間近の果歩と智也を祝う席上、智也の過去の浮気が発覚し…。男女5人が揺れ動く一夜を、緻密な会話劇や驚異的な長回し撮影を通じて描いた群像劇。第56回サン・セバスチャン国際映画祭、第9回東京フィルメックスへ出品された本作は、映画作家・濱口⻯介が東京藝術大学大学院の卒業制作として監督、世界に発見されるきっかけとなった。
理解への無理解、無理解への理解が交錯した先に訪れる、「好き」という⾔葉に本来付随していたはずの意味。(髙⽥)
愛する夫ニックや三人の子供たちと暮らすメイベルは、その愛情の強さゆえに精神のバランスを崩しがちだった。ある夜、夫婦二人だけで過ごす約束が叶わないと知ると、メイベルはバーで知り合った男を家に連れ込んでしまう。ニックは奇行が目立ち始めた妻を精神病院に入院させる。その半年後、メイベルの退院を祝うべく人々が集まったが...。
こわれていくのは本当に妻なのだろうか。理解のない夫、枠に当てはめてくる世間との対峙に何を思う。(栁⽥)
川崎市アートセンターでの学生企画上映会も早いもので10回目を迎えた。これまでのテーマは、団地、夫婦、親子、ディストピア、ライブ、手紙、花盛り、逃亡、花火と爆弾、ときて今回は宙ぶらりんである。そういえば日本映画大学が誕生した2011年の春、お隣の昭和音楽大学作曲科とのコラボで『ロイドの用心無用』に音楽を付けてもらい、オペラハウスでオーケストラ付きの開学記念イベントをやったのを思い出した。あれも摩天楼の時計台の針に引っかかった主人公をはらはらしながら見守る究極の宙ぶらりん映画だったなあ。本当にTime Fliesである。
川崎アートセンターがある新百合ヶ丘の日本映画学校(現・日本映画大学)でぼくは映画を学びました。
今回、宙ぶらりん映画祭で『普通は走り出す』を選出いただいたことはとても光栄なことですし、新百合ヶ丘で自分の映画が上映されるのは実は初めてのことなので特別な思いがあります。
ひさしぶりの新百合ヶ丘の雰囲気を楽しみながら映画祭に参加しようと今からワクワクしています。
「宙ぶらりん映画祭」で「こちらあみ子」を上映していただけること、とても嬉しく思います。「宙ぶらりん」というのは、まさに、あみ子さんにぴったりの言葉ではないでしょうか。
そして僕も、だいたい宙ぶらりんな毎日を過ごしています。
宙ぶらりんの反対語ってなんなのでしょう? 地に足がついてる的な?
ということは地に足がつけられない、ふわふわソワソワした人のための映画祭なのでしょうね。なんだかワクワクしてきました。楽しみです!
「宙ぶらりん映画祭」で拙作『ドコニモイケナイ』を上映したいと連絡をもらったとき、まさに我が意を得たり!と膝を打った。
『ドコニモイケナイ』は私のデビュー作であり、二十歳だった頃の私自身も映り込んでいる。すべてが中途半端で寄る辺ない存在だったあの頃の私は、そのような自覚も無いままに意気揚々と渋谷という街に繰り出し、映画を作りたいと切望していた。膨れ上がった自意識と厳しい現実ので、まさに“宙ぶらりん”の状態だった。そんな映画が学生たちの目にはどう映ったのだろう、何を感じてくれたのだろう、そればかりが気になっている。
撮影から20年以上が経ち、私はあの頃と何か変わっただろうか。今も時代と場所をうように“宙ぶらりん”であるような気がする。今回、学生の皆さんが“宙ぶらりん”を「枠や思い込みから解放されている状態」と再定義していた。この定義ならばもうしばらく“宙ぶらりん”も悪くないな、そう思った。
小田急線「新百合ヶ丘駅」北口より徒歩3分
〒215-0004 神奈川県川崎市麻生区万福寺6-7-1 ※駐車場はございません
TEL:044-955-0107
公式サイト:https://kac-cinema.jp
全席指定席
ご鑑賞の3日前より購入可能(窓口:9時から/オンライン:10時30分から)
[各種割引なし・シネマ会員ポイントあり]