2018|56min|ドキュメンタリー
僕は小さなころからあることに悩まされてきた。「お寺の息子さん」――そう呼ばれるたび、自分の運命が決められていく気がして、友人にも寺の息子であることを話せなかった。そんな僕が救いを求めたのは1人の女性だった。彼女に励まされ、自身のルーツと向き合う決心をすることにした。寺を知り、親を知る。これまで逃げてきたものに目を向けて、僕は何を思うのか?
白井孝周(しらいたかひろ)22歳、実家は寺、デリヘルにハマっている。
神奈川県相模原市にある曹洞宗のお寺『勝源寺』。この寺は約400年の歴史を持ち、昔から地域の人々に寄り添ってきた小さなお寺である。孝周はこの寺の長男として生まれた。
白井孝周が卒業を前に、自らの生まれと将来について考える姿を収めたセルフドキュメンタリー。セルフドキュメンタリーとは作り手が自分自身にカメラを向け、私的な部分に切り込んでいく種類のドキュメンタリーである。日本映画大学の前身の日本映画学校時代には、『妻はフィリピーナ(1994年)』や『ファザーレス 父なき時代(1997年)』、『あんにょんキムチ(1999年)』など代表的なセルフドキュメンタリー作品が作られていた。
高齢化や地方の過疎化に伴い、檀家離れや寺離れ、後継者不足など多くの問題を抱えている現代の仏教界。例えば『曹洞宗宗勢総合調査報告書』によると、曹洞宗では約5000ものお寺で後継者がいないという状況になっている。これは曹洞宗のお寺全体の数の約3割にのぼり、この数字は年々増加している。そもそも寺は、地域における教育や福祉、文化の拠点など、コミュニティの場として栄えていた。しかし、明治初期に行われた神仏分離令や廃仏毀釈などにより、お寺のあり方も変わってしまった。現在では、お葬式のみを行うという意味で「葬式仏教」と揶揄され、少しずつお寺から人が離れてしまっている。
白井康芳
白井利恵子
白井陽子
橋本山 瑞光寺
住職:上村利行
総代:笹野稔
大瀧山 長徳寺
住職:大瀧智賢
三上理沙
西岡良峻
市川法由
ユメカ
ノノカ
監督:白井孝周
制作:長岡遥輝
撮影:徳山敦己
撮影・録音:市川ひかる
編集:白鳥飛翔
制作補:藤崎充、高田遼裕
協力:
張博文、金丸紘平、織田朋
勝源寺世話人 総代:中村正和/中村仁、中村勝利、曽我充晴、曽我一治、中村和夫、大平和彦、山口隆、中村澄明、曽我憲一
菅沼輝雄
相模原市立博物館 加藤隆志
相模原市磯部民俗資料館 野頭重一
龍源山 正泉寺 住職:西岡良倫/西岡正子
龍澤山 保寿院 住職:加藤淳生
淵源山 龍像寺 住職:倚水映能/副住職:倚水能生
礒平山 能徳寺 住職:樹下尚宗
三元宏順
勝源寺 檀家の皆さん、ビーエス観光神奈川、さがみ三郷葬斎センター、相模の大凧文化保存会、勝坂大凧保存会、勝坂お囃子保存会、相模原市磯部民俗資料保存会、相武台歴史同好会、相模原市立博物館、相模原市文化財保護課、在日米陸軍キャンプ座間、在日米陸軍基地管理本部、瑞光寺 檀家のみなさん、長德寺 檀家のみなさん、正泉寺 檀家のみなさん、曹洞宗神奈川県第二宗務所第9教区、大本山 永平寺、大雄山 最乗寺、勝坂地域の皆さん、風俗嬢のみなさん
参考資料:『寺院消滅』『うちのお寺は曹洞宗』『庚申信仰』『相模原市今昔写真帖』『目で見る相模原の100年』『相模原の昭和』『月刊住職』『相模原市史』
この企画を立ち上げる直前まで、僕は引き籠りでした。学校へ行かず、一日の大半をベッドの上で過ごす毎日。唯一外に出るとしたら「デリヘル」に行く時くらい。
何のために生きているのかわからない堕落した日々の中、時間だけが刻々と過ぎていく。そしてまた僕はデリヘルへ行き、いつしか「デリヘル」が僕にとっての駆け込み寺になっていた。「こんなんじゃダメだ」と思いながら、なかなか動き出せずにいました。
そんなどうしようもないある日、いつものようにデリヘルへ駆け込むと、僕はそこで女神に出会いました。それがデリヘル嬢の「ユメカちゃん」。それからというもの、僕は狂信者のごとく彼女のもとへ通い続けました。僕は彼女に一目惚れしてしまったのです。
しかし、相手はデリヘル嬢。僕は引き籠りでデリヘル狂いの映画オタク。こんな救いようのないヤツを女神が相手にするわけがない。とにかく今のこの状況を変えなければ…。
それと同時期、引き籠りで常に家(寺)にいた僕は、ベッドの上でよくこんなことを考えていた。「あれ?俺このままなにもしなかったら、そのうち修行に行かされてお坊さんになって寺を継ぐのかな…?」これは僕が長年縛られ、否定し続けた運命でした。
しかし、常に家(寺)にいると、今まで見えなかった「寺」の現状や問題点、両親の今後がすごく気になり始めた。「この寺どうなるんだろう…」なんとなく危機感を覚え不安になっていきました。
寺、家族、世襲、映画、デリヘル、恋、そしてダメな自分…いろいろな不安と悩みが錯綜し、僕は負の輪廻に陥った。「早くこの負の輪廻から解脱しなければ…そして今のダメな自分を変えなければ!!」そんな一心で学校に復帰し、この企画を持って行きました。
今まで逃げて来たものに正面から向き合い、新しい一歩を踏み出す。そして、それを見た彼女に僕を認めてもらいたい!!そんな不純かつ、もっとも純粋な衝動を原動力に、僕はカメラを回しました。
人にとっての救いとはなんだろう?それが、宗教であろうが、家族であろうが、映画や風俗であろうが、何だっていいと思いますが、結局最初は自分で動きださなければいけないなと思いました。
「寺で生まれた」というあまり他人には共感されにくい、ものすごく極私的な話ですが、いざ俯瞰して見て見ると、これは「誰にでもある普遍的な話」に繋がっていると思います。
そんなこんなで今までを振り返って見て自分に一言、「ばちあたりなヤツだなぁ…」。