2005.09.12

Category:OB

「1000日去って、10000日?」杉本純(地域誌『多摩人』編集スタッフ)

 

一年は佐藤武光さん、二年は新城卓さん、三年は武重邦夫さんと、僕は映画学校の三年間を、今村昌平監督の助監督が担任をするゼミで過ごした。
「物語をつくる!」という夢を抱いて映画学校での日々を過ごしはしたものの、幾度かあった実習では一度も監督をすることはなかったので、三年間で僕の夢とプライドは挫かれた。また、卒業制作『10月のコリアンバード』は内部でモメにモメて、どうして良いか解らないまま右往左往したあげく製作中止寸前まで行き、武重さんも「首の皮一枚でつながった」と言ったほど、ギリギリで這いつくばって発表会にこぎ着けた。
つまり三年間、楽しいこともあったけれど、自分の非力と不甲斐なさと根性の弱さとを思い知らされるために学校へ通った、とも言えるかも知れない。まぁ、未熟なら未熟なりの「苦汁」は舐めたのかなァ、と思う。

 

そして(苦節三年?)、なんとか心も体も無事に、学校を巣立った。映画の道を志すなら、「現場に入って助監督…」ということころだろうけど、僕はいま、多摩・麻生の地域誌『多摩人』のスタッフをしている。僕はもとから「書きたい」という思いが強かったからだ。周りには眼をまん丸くして「現場に行かねぇのか?」と驚いた人がいたけれど、この道を選んだことに自分の中では違和感はない。それに僕の胸の中には今村組の助監督陣の力強い言葉がある。武光さんも、新城さんも、武重さんも、口酸っぱくして言っていたのは「とにかく書いて書いて、書くこと」。
だから僕の毎日はと言えば、事務所で黙々とパソコンに向って記事を書くこともあり、お店の取材、人の取材、写真撮影もあれば、営業もする。もう10冊以上のノートを文字でいっぱいにした。家へ帰っても読書、仕事内・外での執筆。まるで「人間研究」を一人でやっているような、取材と執筆と勉強の雨あられだ。だから安心して下さいな、恩師の方々。不肖の弟子とはいえ、教えを忘れてはいません。それに、それなりに楽しくやっています。仕事柄、クリエイターやら会社の方やら、色んな人との出逢いがあるので。

 

僕がチーフをつとめた卒業制作『10月のコリアンバード』。監督のパク・ヒョンジュンと共にプサン国際映画祭への出品を目論んでいたが、先月、落選が確定した。また、卒制だけでなく、一緒のゼミだった仲間の中には就職した者、アルバイトを続ける者、田舎へ帰った者も。ほとんど連絡は取らないが、時々会うと、色んな情報が耳に入って来る。たくさんの人間と映画学校の三年間で知り合い、彼らは様々に世間へ散って行った。僕はこの先どうなるのか。意を決して都会へ出てきた時の願いだけは捨てずにいたいものだ。

 

ところで、僕の手元にある映画学校のパンフレットに、「1000日の実力」と書いてある。たしか卒制に関する箇所だ。1000日を終えて、僕の前にはまた新たな1000日がある。いやいや、2000日か、3000日か、はたまた10000日か。「シャカイ人」はいつまで続くのだろう…
ヨォシッ! さえないけれど、やってやる。終わりがないなら、1日も10000日も同じなのだから。今日が台風なら、明日はカラリと晴れるはず。出陣に憂いなしさ!

ページトップへ