2005.09.19

Category:OB

「インドネシア映画『ロームシャ』を探して…」藤野知明(映像制作)

 

今年の四月に上海でおきた反日デモは記憶に新しいと思うが、一九七四年のインドネシアでも同様の反日デモがあった。
インドネシアの首都ジャカルタでは学生一万人が集まり日本大使館に向かって投石し、トヨタの合弁会社は全焼、 学生八人の死者が出た。インドネシア訪問中の田中首相は空港までの移動を車からヘリコプターに変更したほどだ。

 

じつはその前年の一九七三年、インドネシアで一本の不遇な映画が作られた。タイトルは「ロームシャ(ROMUSHA)」。
ロームシャとは、太平洋戦争中に日本軍が泰緬鉄道などの軍事施設建設のために徴用した数百万の人々のことで、 死んだ人、帰れなかった人も多いという。「バゲロー(バカヤロウ)」「キヲツケ」同様、そのままインドネシア語化している。
映画はロームシャが日本軍に対して起こした蜂起を描いていたもので、一旦はインドネシア情報省の検閲をパスし、 映画館に看板まで出ていた。ところが公開直前に情報省の大臣通達によって上映中止になってしまったのである。
理由は「国益を優先した」ためだという。国家予算の45%を占める石油の八割を日本が買っていたのは事実だが、 だからといって映画の上映に影響を与えるほど日本はエライのだろうか?

 

その後八十年代に入って日本の軍政時代を描いた映画は「欲望の花嫁」「カダルワティ」などが製作、公開されている。
しかしなぜか「ロームシャ」だけは一度も公開されていない。それどころかフィルムの行方すらわかっていない。
制作費は当時の金額で九千六百万ルピア(約六千万円)といわれている。資金回収はいったいどうなったのか?
真相は今もって藪の中である。

 

四年前にその話を知ってオドロキ、なんとしてもこの目でフィルムを見たいと思い、多くの助けをいただき無理を承知で インドネシアまで行った。結局フィルムは見つからなかったが、撮影中のスチールや記事が手に入った。
またS.A.KARIM監督に会って撮影当時の話を聞くことができた。インドネシア人女性と結婚した日本軍元大尉が 考証をアドバイスしてくれたそうだ。

 

まだ道半ばだが、フィルムが見つかったらぜひインドネシアと日本、両国で上映したい。映画「ロームシャ」は
戦争被害者であるロームシャに光を当てただけでなく、平和であるはずの戦後に映画の上映すら認めなかった
インドネシアと日本の関係をも照らしだすと思うからである。

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