2006.02.13

Category:OB

「わたくし、日本映画学校卒業生であります!」中野量太(映像作家)

 

2005年、初夏。
「もしもし久しぶり、ねえ、一緒に面白いことしない?」
僕は半笑いで映画学校時代の仲間たちに電話しまくったのであった。

 

卒業制作以来6年ぶりに映画を撮れることになった僕は腕を組んで考える。石になる。
「・・・やっと映画を撮れることになった。でも予算が少ししかない。よってスタッフを雇えない。当然のごとく撮影日数もかけられない。だからってちっぽけな映画は撮りたくない!ない!!なーい!!!」
容赦なく次々と襲い掛かってくる“ないない攻撃”に、やる気だけで応戦していた僕は、ふと気付く。
「あれ、僕って日本映画学校卒業生だよなぁ・・・ふふふふふ」
不敵にほくそえみながら、僕はポケットに手を伸ばしたのであった。
「もしもし久しぶり、ねえ、一緒に面白いことしない?」
「もしもし俺、一緒にイマジナリーライン守らない?」
「オッスおら中野、映画やるぞ、映画!」
僕の突然の呼びかけにも、快く応じてくれる昔の仲間たち。友情とは、『とも』の『なさけ』と書くんですね~。
仕上げはテレフォンナンバー【044-951-2511】
「もしもし五十嵐さん、映画撮るから機材協力して! あと、俳優科の生徒紹介して・・・」

 

『諸君! これが、日本映画学校の正しい活用法である』

 

な~んて生意気なことを言いましたが、僕みたいな名も無き卒業生の相談にも、温かく手を貸してくれる我が母校の懐の深さに・・・うッ(感無量)
「うおー! 日本映画学校よー! お前はなんて素敵な学校なんだー!」
多摩川に沈む夕日に向かって、僕は涙を流しながら叫ぶのであった。(注:関西人は1の話を10にして話します)
結局、在校生・卒業生合わせて、6世代17人の仲間たちが集まってくれました。
「みんな本当に有難う。甘えるのは一回だけ、次はちゃんとギャラを出せる仕事に呼ぶからね」
イカシタ仲間たちの顔を見ながら、僕は心の中で固く誓うのであります。

 

8月21日、日芸出身のプロデューサーの仲間たちも加わり、いざ【中野組】クランクイン!
低予算、タイトなスケジュール、台風の直撃、どんな逆境にもめげず、仲間たちと突っ走った怒涛の6日間。
数え切れないくらいたくさんの人々に支えられ、短編映画『ロケットパンチを君に!』は無事完成したのでありました。

 

在校生の皆さん、在学中は思う存分映画作りを楽しんでください。そしてたくさんの仲間を作ってください。
あと、用事も無いのに頻繁に教務課に出入りすることをお勧めします。

日本映画学校は僕にとって、映画作りの面白さを教えてくれた原点の場所。鮭でいう故郷の川みたいなものです。
鮭は3年で帰ってくるのに、僕は6年もかかっちゃいました。
次回はもう少し早めに帰ってきますので、その時はまたよろしくお願いします。
もしかしたら鯛になって帰ってくるかも・・・いや、メダカかな。

 

今も昔もこの先も「わたくし、日本映画学校卒業生であります!」

 

『ロケットパンチを君に!』公式HPhttp://rokepan.xii.jp

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