2006.12.11

Category:講師

「山古志はいま ~映画『掘るまいか』から『1000年の山古志へ』~」橋本信一(映画監督)

 

この度、私たちは長編ドキュメンタリー映画「1000年の山古志」(仮題)の制作を開始しました。ちなみにスタッフは監督である自分をふくめてすべてが日本映画学校OBです。

 

映画のタイトルにもある山古志とは、2004年10月23日に起こった中越大震災で甚大な被害を受け、全村民が長岡市に避難した旧・山古志村のことです。
日本有数の美しい棚田や古い文化を有する山古志村は、日本人の古里の心の象徴であり、新潟県の誇る豊かな文化資産でした。

 

この映画の制作を始める前、私たちは、1998年に山古志村に入り、4年の歳月をかけて、手掘り中山隧道の記録映画「掘るまいか」を制作しました。(注1)
その折、撮影を通じて山古志の人々や風土・文化に触れ、驚いたことがあります。
この村には、私たち日本人が戦後の60年で失ってしまった日本固有の精神文化である不屈の精神や慎みの心, 親から子へ継ぎ渡してゆく教育や価値観、ゆるぎない家族の絆・・そうしたものが奇跡的に残っていたのです。

 

その山古志村を襲った中越大震災。美しい故郷は、激しい地震の影響で家々が倒壊し、道路は寸断され、山はその地形を変えました。
自慢の錦鯉や牛たちは多くが犠牲になり、山古志村に与えた経済的な打撃は想像を絶するものでした。
自衛隊のヘリによる全村避難、体育館での避難所暮らし、仮設住宅への移動・・。
村人の暮らしは激変し、当初の予定であった2006年秋までの全村民の帰村は、様々な事情から実現困難となりました。
はたして我々は山古志に帰れるのか?もし、帰れても本当にみんな一緒に帰ることができるのか?そして、帰村後の暮らしは成り立っていくのか?・・・。長く続く仮設住宅暮らしに人々の不安や焦りは募り始めています。
地震直後に殺到したマスコミの報道も、今はわずかにその後の状況を伝えるばかりで、
なおも厳しい現実の中にいる山古志の人々の苦しみのすべてを日本全国に伝えることはできていません。
莫大にかかる復興費用の問題や長期にわたる復興工事は、この地域が豪雪地帯であることが大きく影響しています。一年の半分が雪で閉ざされ、工事車両が入っていけないからです。

 

そうした状況の中、私たちは、映画「掘るまいか」でみつめた山古志という美しい山里の再建のドラマをカメラで記録する必要があると強く感じました。
それは、ひとつの村と出会い、「映画」という共通の祭りを一緒に体験した人間の思いであると同時に義務であるとも思ったからです。

 

しかし、この映画はいわゆる「復興映画」だけにはしたくはありません。
今回の映画では、ひとつの村がどのように再生していくか、という姿を見つめていくと共に、どんな過酷な逆境におかれても、それを粛々と受け入れ、しなやかに、したたかに生きていく山古志の人々の「生きるチカラ」を描きたいのです。
そして、村人が厳しい困難を乗り越えてでも帰りたいと思う「ふるさと」「ムラ」とは何なのかにも迫っていきたいと思っています。

 

この60年、日本人は幸せを求めて経済繁栄社会を達成し、ふるさとを失いました。
それはあまりにもスピードと効率を求め過ぎた結果ではないでしょうか。
人間にとって「ふるさととは何か?」そして「生きるとは何なのか?」
山古志の人々のふるさと復興に挑む闘いの日々を通して、その根源的ともいえるテーマに肉薄していく映画を作りたいと思います。

 

※ 映画「1000年の山古志」のHPがあります。映画製作支援についてのお願いもしております。皆様方のご支援よろしくお願い致します。

 

http://1000yamakoshi.main.jp

 

注1 「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」 83分  16mm  デジタル

 

新潟県の豪雪地帯として知られる山古志村。2004年、新潟県中越地震で多大な被害を受けたこの村に現存する1kmの手掘りトンネル中山隧道は、昭和初期に16年にも及ぶ期間をかけて村人の手で掘られた。
このドキュメンタリーは、戦争による中断、工事の賛否をめぐる集落の分裂など様々な困難に遭遇したその壮絶なまでの過程を貴重な証言と再現シーンを交えながら描いた人間の精神とエネルギーの記録である。

 

※第一回文化庁文化記録映画優秀賞、土木学会賞、新潟日報文化賞

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