2008.07.29

Category:OB

「エディターズ・ハイ」椛嶋祐介(映画予告篇制作)

 

高校時代、なんの疑問もなく当たり前のように大学に進学した。

大学三年の秋、周りの学生は就職活動をはじめる。もちろん僕も就職活動をした。
そこで初めて自分の将来について真剣に悩んだ時、映画の勉強をしたいという想いが日に日に強くなっていった。
さんざん悩んだ末に就職をせず、日本映画学校への進学を決めた。

 

大学を卒業してからきた僕は自分の年齢を気にしていたが、そんなものはすぐにどうでもよくなった。

やるべき事がどんどんでてきたからだ。いくつもの映像制作に携わった。毎日が忙しかった。
友人や講師ともけんかをした。それでも楽しいと感じたのは、出来上がったものを見たときの充実感があったからだと思う。
最終学年の三年になったとき僕は映像編集コースに進んでいた。編集はおもしろかったし、自分に現場は向かないと思ったから。

 

三年になってすぐの卒業制作でプロデューサーをすることになった。演出でも編集でもない、制作という仕事にはまったく面白みを感じなかった。それでいて責任だけはつきまとう非常に面倒なものに感じた。

実際、面倒くさい仕事だった。予算の振り分け、ロケ地交渉、トラブルの処理。撮影に入れば誰よりも時間や予算を気にしなければいけない。撮影が中断した事もあった。本当に毎日映画の事ばかり考えていた。
いつの間にか、制作という仕事が好きになっていた。今になって思えば、あの時ほど何かに集中した事はなかったと思う。映画が完成し、無事に上映できたときは本当に心の底から感動し、安心した。緊張から解き放たれたときのあの快感は言葉では言い表せない。映画学校時代に最も力を注いだ制作の仕事は最高の経験だった。

 

映画学校を卒業した僕は今、制作でも編集でもなく、映画の予告篇製作の会社で働いている。

二年の時にあった予告篇の学内コンテストで2位の評価を得た事、そしてそれ以上に制作中、時間を気にせず夢中になれた事がずっと心に残っていて、それを仕事にする事を決めた。

 

結局、学生時代に最も力を費やした制作とはまったく関係のない仕事を選んだが、映画学校での三年間で培ったものが今、僕の土台となり予告篇製作に生かされている。出会った人や経験した全ての事に感謝したい。

僕の映画人としての歩みを映画本編としたら、まだまだ予告篇を作るには材料が足りない。とにかく今はがむしゃらに仕事をする。そしていつか、映画館に人を呼べる予告を世の中に送り出していきたい。

 

(日本映画学校 映像科19期生)

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