2008.09.02

Category:学生

「映画って何だ?!」杉山麻理子(映像科3年)

 

『独立少年合唱団』の緒方明監督のゼミに入って早一年半が経とうとしている。
謎は深まる一方である。
監督になれば、頭の中で描いていた映像をそのまま撮影して編集して作っていけるのだと思っていた10代の自分に言ってやりたい。
「阿呆」 んなこたぁできるわけがない。
いや、できても面白くもなんとも無い。そんなのは映画じゃない。
まずこの学校で、撮影よりも脚本よりも、その中心に在る人間の偉大さを知らなければ映画は作れないことを学んだ。学んだというよりむしろそのことに打ちのめされて、今私の心象風景はドス黒い沼の底と言えよう。コン畜生。
なぜこんな事になったかというと、自分が映画を甘く見ていたからだ。小手先で生きてきた私のような人間が、こんな巨大なものに振り向いてもらおうなんざぁ百億年早いのだ。

 

緒方先生が、映画の内側と外側の話を私たち学生にして聞かせたことがある。
「映画には内側と外側(内側:脚本や監督の考え、やりたいこと。外側:制作費、ロケハン、スケジュール、撮影等の段取り)があって、その二つは非常に相性が悪い。学生たちは外側のことばかり考える。内側があるから外側が見えてくるのに(フフフ…)」

 

前回の実習でプロデューサーだった私は、その作品に苦戦苦闘した。この実習では、文字通りほぼ全員が外側だけを固めようと躍起になっていた。せっせせっせと穴ぼこだらけの球体を作って、尚且つ中心の無い映画が出来上がってしまったというわけである。
「映画の神様」なんて色んな人が言うのを聞くが、神様におべっか使ってどうにかしようとした私たちは、神様に蹴り飛ばされた。緒方先生も、「映画という巨大なものに跳ね飛ばされたね(ニヤリ)」と批評したそうなのだ。

 

映画は人間を見ている。人間を選ぶ。
今、映画に選ばれる人間になるため、日々緒方先生に息も詰まるような具体的な言葉で叱咤され、歯を食いしばって突風の中を突き進んでいる。いや、進めていないが。
苦しいときは上り坂。
私は今、苦しい。

 

(日本映画学校21期生)

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