2009.03.31

Category:学生

「後輩達へ」大谷真也(映像科3年)

 

この春卒業した僕から、後輩達へ、そしてこの学校を志望する人達へ、卒業した今だから言えることを書きます。
3年前この学校に入学して、一番最初に感じたことは「来なきゃよかった・・・」ということ(笑)
当時、高校の友人によくこう愚痴っていた。
「校舎は狭いし、薄暗い。生徒も陰湿でオタクっぽく暗そうな人達ばかり。失敗したわ・・・。」
なぜこんな痛烈なことを感じてたかと言うと、高校時代、僕はサッカー部で、自分で言うのもなんだけど、バリバリの体育会系だった。
まぁ、わかりやすく言えば、「イケてる」グループにいたわけだ(笑)。その頃の僕の持っていた「映画学生」の勝手なイメージは、「メガネ・根暗・オタク・・・」。つまり「イケてない」グループ。ましてや「専門学校」となると・・・(笑)。
だから入学当時はその「偏見」と「先入観」にかなり苦しめられた。

 

この学校のカリキュラムや理念は奥が深すぎる。「人間研究?なんだそりゃ!」何度も辞めようと思った。
「この授業、意味あんの?」口癖になった。まぁ、今考えてみれば、当時の自分にその意義を理解できるはずもなかった。
最初言っていた「偏見」は日が経つにつれ消え、そんな人達ばかりではないと気付き始め、友人も増えた。
では何が一番つらかったのか。それは断トツで「価値観を変えること」だ。

 

「価値観」。よく耳にする言葉だが、イマイチ意味を理解してない人が多いと思う。自分も最近までそうだった。
この学校では、実習に、友人に、先生に真剣に向き合えば向き合うほど、自分の「価値観」を壊していかなければならない。
おそらく僕は「偏見」や「先入観」を持っていたから、余計それがきつかった。好きな映画は否定される、世の中に対する考え方はもちろん、思想、存在自体否定されることもあった。しかしその状況下でも、自分の芯は持っていなくてはならない。「価値観=芯」と言ってもいい。

 

芯を壊して更地にするのではなく、壊した分、新たに再構築しなければただの「成長できない人間」になってしまう。
ではどう構築するのか。それは実習や講義など日常から「設計図」を自分で探していかなくてはならない。だから気を抜いていると、全ての実習・講義は川のようにただ流れていくだけである。「この授業、意味あんの?」となる。
「意味」という名の、「設計図」という名の「砂金」を流れる川の中から、自分で見つけ出さなければならない。ただ、それがかなり難しくしんどい!
正直、1年生の前半は完全に流れる水をボーっと見ていただけだった。かなりの量の「砂金」を見逃したことを強く後悔している。ただ学年が上がるにつれ、つかめる「砂金」の量も増え、どんどん価値観を再構築出来るようになった。だから今では、昔では考えられないくらいの角度、視点から物事を見れるようになったし、考え方も深くなった。ここまで成長できたのは、口にするのは悔しい気もするが、「この学校のおかげ」である。これは間違いなく。

 

そして3年生になると、ぶち当たる壁がある。それは「社会という現実」だ。つまり「進路」。
この学校を卒業するということは、社会人になるということ。つまりどうしても「お金」が関わる。そう、俗に言う「夢をとるか、現実をとるか」だ。夢である映画監督を目指すなら助監督になるしかない。しかし、激務な上、給料もお気持ち程度。フリー助監督となるので、ほぼフリーター。社会保障はおろか、部屋を賃貸することすら入居審査(年収調査)でつまずく。
増してや監督になれる保障すらない。

 

一方、CMやテレビの制作会社に入れば、一応「会社員」になり、安定した給料と社会保障を受けられる。ただ演出部ではないので映画監督からはほど遠い世界。
夢を追いたいが、あまりにハイリスク過ぎる。しかし、「現実」をとれば夢は諦めるしかない。
「夢を叶えるためにこの学校に入ったのに」だ。このジレンマにかなり僕は苦しめられた。
悩んで悩んで悩み抜いたとき、あることに気付いた。それは気晴らしにテレビを見ていたとき、あるタレントが、「自分のターニングポイントは34歳だ」と言っていた。ここで僕の頭の上に電球が付いた。「そういえばよく、人生の成功者って言われる人達も、若いうちはいっぱい苦労して30代、40代でやっと転機を迎えてるよな・・・。つまり、30歳、40歳になって花開く人達がいるんだから、今20代前半のウチらなんか、やりたい放題じゃないか!」と悟ったのだ。

 

「当たり前じゃん、そんなの」と思うかもしれないが、この考え方は一見、ドラマでも使われそうなベタな言葉だけど、よく言う「夢は諦めちゃいけない」とか「夢は見るものじゃなく叶えるものだ」とか、そういう無責任な教科書通りの言葉ではない。一度、自分の価値観を壊し、再構築し、さらには夢までも「現実」の壁に壊され、それがようやく再構築された時の言葉だ。ピカソがキャンパスに描く線と、一般人の描く線では、同じ線のようでも全く違う。それと同じ。「深さ」が違うのだ。
この言葉にたどり着けなかった同期生達は、退学したり、夢を諦め全く関係ない所に就職したりした。でもそれは逃げたわけじゃない。

 

「砂金」が足りず再構築出来なかっただけのこと。

 

この言葉にたどり着いた僕は、学生課の方が心配して回してくれた制作会社や、テレビドラマの制作部など、失礼とはわかりながらも全て断った。
「映画にしか興味はない」
担任の先生からも怒られた。「この業界、仕事を選ぶな」「何様のつもりなのか」。気付けば学生課の方からも愛想を付かされた。あくまで「映画」にこだわり続け、進路が決まらないまま卒業式を迎えた。友人や親、兄弟からも「進路は?」と聞かれる。悔しいけれど「まだ」と答えるしかなかった。

 

そんな僕の思いが伝わったのか、担任の先生が頑張ってくれて、一ヵ月後に撮影される映画の現場を紹介して頂ける事になった。僕は思った。「あの時、あせって、夢から逃げてテレビに飛び込まなくて良かった」と。

 

日本人の平均寿命が80歳としても、まだ僕達は4分の1しか生きていない。まだ半分も生きていないのだ。だったら好きなことを、夢を追うことをするべきだと思う。しかしそのためにはまず自分を見つめなおさないといけない。ではその方法は?「それは他人を見つめること。」
ようやくこの学校の理念である今村昌平さんの言葉が理解できたような気がする。あの理念の言葉はかなり深い。でも新入生が無理に理解しようとする必要はない。なぜなら、この学校で3年間「砂金」を集め続ければ理解できるからだ。その為にこの学校はある。

 

(日本映画学校 映像科21期生)

 

 

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