2013.04.23

Category:学生

「シナリオについて」森川 敬士 (日本映画大学3年)

新入生、入学おめでとう。

後輩が増えたので、このコラムを見る人も増えると思う。

まぁ、自分のコラムがどうこうじゃなくて、先輩や後輩のコラムを見るというのは面白い面白くない関係なく大事な事なので、ぜひこれからもこまめにチェックをしよう。

で、自分は脚本演出コースに通ってるので、せっかくなのでそれらしい事を書こうと思う。

シナリオっていうものがある。
いわゆる映画の基礎となる脚本というものだ。

そのシナリオって、書いてみると本当に面白い。
しかし今の二年生はシナリオ実習で嫌という気持ちが根底にあるかもしれない。

しかし、シナリオの魅力と言えば、「個性」がシナリオに現れることである。

つまらない人生を送った人でも楽しい人生を送った人でも「個性」である程度面白いシナリオは書ける。
ただ、「自分」というものをしっかり見ていなければ、いくらシネフィルでも全然書けない。

「自分」というのはどういう人間か、どんな人生を送ったか、どういう交友関係があり、恋沙汰、事件沙汰、経験諸々全部ひっくるめてシナリオに叩き込む。
そう考えるとシナリオは「今まで送った人生の要約」のようなものだと思う。

ウディ・アレンが「脚本を書く時は、恥を忍ばなくちゃいけない。 脚本を書き続けて完成させるのは恥なんだよ」という言葉を遺してる通り、シナリオは「『生き恥』をさらす行為」なんだと自分は思った。

人生を見せる、そう考えるとシナリオというのはひとつの生きた生物のように感じる。
その生き物に愛着が湧くかどうかは見る側の人間だ。

書き手自身が手塩にかけた生き物がレッサーパンダに見えるかアルパカに見えるか、はたまたクモやゴキブリに見えるかは、書き手の書き方にもよるが、その見る側の送った人生にも影響される。

また、いくら大多数がゴキブリに見えても、誰かが美しい孔雀のように見える時があるかもしれない。
今、現在進行形でやってる「合同制作A」という実習の、映画を作るためのシナリオのゼミの中の選定で、自分がまざまざと感じさせられた。
この話はあまり深くはここでは話さないが、人生でもかなり感慨深い経験になった。

さて、結構書きました。
と、ここで、少し宣伝を。

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戦極MCBATTLE6章 黄金の春の陣 開催決定!!
広がり続ける戦極MCBATTLE!
2013.4.28。黄金の春の陣….黄金週間のスタートは戦極で楽しめ!
http://sengokumc.exblog.jp/19800787/

日本映画大学の学生がカメラマンとして参加させて頂いています。是非、観に来て下さい。

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MC BATTLEという、即興で相手を言葉遊びを用いながらdisる(ディスリスペクト=「けなす」)という異質な大会の絶対的王者、晋平太は、試合で毎回こう叫んでいる。

「俺に文句があるならステージに上がって文句を言え」、と。

だから、もし、このコラムが不服だとか、「バカじゃねーの」とか、「つまんねー」とか、「長い」とか、「時間返せ」とか、「森川ちょっとブサイクなんじゃないか」とかそういうのは、全部コラムで。

会ってどうこう言うのはやめてね。
コラムを悪口だらけにするのも(笑)

まぁ、長くなったけど、シナリオが活きるのは大学生活の日々の授業をどれだけ自分と向き合うかで大きく変わると思うので、頑張って。

自分も頑張ります。
(日本映画大学 映画学部 1期生)

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