2014.06.03

Category:学生

「学びほぐし」 出町光識(日本映画大学3年) 

 

ぼくの映画歴において、二十代前半に遠ざかってからの四半世紀という時間の穴は大きい。
それでも今は「夢」の中にいる。
やっと映画の傍へ還ってきたのだ。

映画学校の1期生として卒業し、撮影所で働きもしたが、安いプライドとありがちな言い訳とで、自分の身の丈にぴったりの墓穴を掘り、撮影現場を逃げていった。
逃げた負い目から映画いう家族のような存在と縁を切り、観ることさえなくなってしまった。
おそらくそういう映画学校卒業生はたくさんいるに違いない。

ある日、近所の不動産屋さんが1枚の日本経済新聞の切り抜きをくれた。
そこには今村昌平監督が映画学校をつくった当時の苦労話や多額の借金のことが書いてあった。
思い出した。
在学中、授業で時折みせていた苦しそうな顔はそれだったのだと。
もちろんただの勘違いで、単に呑み過ぎて体調不良だっただけなのかも知れない。
しかし、何度もそんな顔を見た自分に間違いないだろう。
それは四半世紀の穴の中でも忘れたことのない表情だった。
手にした新聞の切り抜きを見ながら自分の逃げた道を悔やんだ。
そしてぼくは恥ずかしながら現実という「夢」に還ってきたのだ。

3.11の以後に開校した新しい大学とはどうあるべきかといった話を授業で聴いたとき、はじまりにおける人の想いは同じなのでないかと思った。
今の大学生活のすべての講義は、ぼくにとっては「日本映画学校」と「日本映画大学」のふたつの創世記体験と、映画という記録と記憶を通して、近代の様々な価値観の学びほぐしである。
「ふたご星」の兄弟はどちらも映画という母体の闇の中で、へその尾を同じにしている。
ぼくは、映画という現実の「夢」を走っていきたい。

(日本映画大学3年理論コース)

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