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まだ何も知らない君へ

まだ何も知らない君へ

2020|55min|ドキュメンタリー

ストーリー

まだ何も知らない君へ

大学4年の池田大道は、自分が3歳の時に亡くなった祖父・草野昭三について、ほとんど覚えていなかった。大道は、昭三を知る人物に話を聞きに行く。弟・草野武、姉・水島久枝、同級生・津田健子。昭三は、かつて日本領であった樺太の街・真岡の出身であった。やがて、「真岡にあった草野宅を見てきてほしい」という遺志を知り、大道はホルムスクへ向かう。それぞれの記憶と、祖父の故郷。終戦直後、真岡での出来事が昭三の運命を大きく変えたのだった。

解説

まだ何も知らない君へ

1945年8月15日、日本は終戦を迎える。しかし、当時、日本領土であった「樺太からふと」では、まだ戦争が続いていたのだ。
樺太は北海道をさらに北上した先にある島である。現在はロシア領のサハリンとして知られている。その西海岸に面する小さな港町・ホルムスク。そこには、かつて「真岡まおか」という日本の街があった。1905年のポーツマス条約締結後、日本領とされた南樺太は資源豊かな、もう一つの北海道とも言えるような島だった。本土から多くの日本人が移住し、最盛期には人口41万4千人を超えた。

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第二次世界大戦中、真岡が戦場となることはなかった。玉音放送が流れ、多くの人々は胸を撫で下ろし、女性や子供たちを乗せた疎開船が真岡の港から出航していった。
しかし、8月20日の真岡は、ソ連軍の艦砲射撃により、火の海と化す。日本軍は停戦交渉を試みたが、東へと押され、真岡に程近い熊笹峠で激戦が繰り広げられる結果となった。真岡では1000人以上の命が奪われた。その多くが、一般住民だった。そして、ソ連は8月25日に樺太全域を占領する。

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当時、真岡の港を見下ろす高台に、草野という一家が住んでいた。艦砲射撃の戦火の中にいた16歳の長男・草野昭三。彼が主人公・池田大道の祖父であった。
終戦から70年以上が過ぎ、大道は祖父の過去をたどり始める。それぞれが持つ記憶の断片を繋ぎ合わせたとき、異国となった祖父の故郷で映る光景とは───

キャスト

池田大道

池田美樹子
池田裕二

脇渕佐智子
脇渕亮太
脇渕莉子

草野武
草野真須美

津田健子

水島久枝

イケダ・イリーナ
ユーリー・ヴィシニャーコフ
マリヤ・プロコフィエワ
アレクセイ・ホフロフ

スタッフ

制作・監督:平野武周
企画:池田大道
撮影・録音・構成・編集:平野武周、池田大道
特別制作協力:庵原陽介
音楽:野呂望、真綺、前川耀一郎


協力:一般社団法人 全国樺太連盟、東京真岡会、田中む津子、工藤寛子、坂本美穂子、古屋君代、古屋義之、山本陽介、西村恒男、西村小夜子、在ユジノサハリンスク日本国総領事館(有馬潤一、平野隆一、石田高明)、国立公文書館、北海道庁、北海道庁旧本庁舎、樺太関係資料館、森川利一、尾形芳秀、手稲区役所 手稲区民センター、北海道新聞社(細川伸哉、マリヤ・プロコフィエワ)、北海道大学、サハリン・樺太史研究会(中山大将、白木沢旭児、鈴木仁、木村由美、西崎純代)、スティーブン・アイビンクス、竹野学、ジョナサン・ブル、市立小樽美術館(新明英仁、星田七重)、中村憲、市立函館博物館、函館遠友塾、今正男、安野正士、株式会社ノマド、株式会社VESMA、ロシアビザセンター、サハリン州郷土博物館、勝利広場博物館、聖徳記念絵画館、明治記念館、ホテル グランドヒル市ヶ谷、東部公民館、杜の会、親楊荘、一般社団法人 ジャパンアーカイブズ、池田家の皆さま、草野家の皆さま、脇渕家の皆さま、坂家の皆さま、平野家の皆さま、佐々木家の皆さま、岡本家の皆さま、吉川家の皆さま、田中家の皆さま

「語り部」撮影協力:西村巌、國枝隆雄、吉田順平、辻力、吉川縫子、小山内政夫、小山内昌子
「語り部」編集:五島匠馬
「語り部」ナレーション:蓮田一樹
「語り部」制作:日本映画大学
「語り部」提供:一般社団法人 全国樺太連盟

撮影協力:潘志楊、関麻衣子、春日拓真
機材協力:朴乙彬、真綺
編集協力:安部友梨、井草風雅、大竹拓弥、岡本錬、小野志穂、加藤友美、佐藤美侑、杉本阿蘭、田村佳奈恵、深浦颯人、堀菜々子
ロシア語文字起こし・翻訳:アリーナ・ヴァシリイェーヴァ
ロシア語翻訳・監修:池田靖

助成:一般社団法人 全国樺太連盟
渡航助成審査:杉本侃、金谷哲次郎、木村真澄

資料提供:一般社団法人 全国樺太連盟

映像提供:『産業の樺太』(一般社団法人 全国樺太連盟)、『樺太ふるさと訪問旅行』、『樺太の旅』(市立函館博物館)

出典:厚生労働省「引揚者在外事実調査票」、樺太庁真岡中学校・高等女学校同窓会「韃靼の海」(樺太庁真岡中学校・高等女学校同窓会・刊 1974年)、「樺太庁真岡中学校・高等女学校同窓会名簿」、佐藤今朝夫・北海道新聞社「写真集 樺太」(株式会社 国書刊行会・刊 1977年)、佐藤今朝夫「写真集 望郷 樺太」(株式会社 国書刊行会・刊 1979年)、「樺太寫眞帖」、「樺太庁真岡中学校第十五回生卒業アルバム」、佐藤今朝夫「目で見る樺太時代Ⅰ」(株式会社 国書刊行会・刊 1986年)、辻力「ハマナスの丘」(トムズ出版社・刊 2005年)、近藤豊和「別冊正論25 NIKKO MOOK」(産経新聞社・刊 2015年)、エレーナ・I・サヴァーリエヴァ「日本領樺太・千島からソ連領サハリン州へ一九四五年―一九四七年」(成文社・刊 2015年)

参考資料:金子俊男「樺太一九四五年夏―樺太終戦記録」(講談社・刊1972年)、ジョン・J・ステファン「サハリン 日・中・ソ抗争の歴史」(原書房・刊 1973年)、佐藤今朝夫「昭和十四年版「樺太年鑑」」(樺太敷香時報社)、全国樺太連盟「樺太年表」(全国樺太連盟・刊 1995年)、オハ抑留記刊行会「オハ抑留記」(オハ抑留記刊行会・刊 1994年)、中山大将「サハリン残留日本人と戦後日本:樺太住民の境界地域史」(株式会社国際書院・刊 2019年)

監修:辻力

メッセージ

2018年の夏。私と池田は、限りなく広く、深い場所へと飛び込んだ。
樺太は、北海道出身である私の近くにあった。
なのに、知らなかった。
この島のできごとを。人々の暮らしがあったことを。
そして、真岡のような街が、この国には数多くあったことを。
池田の企画書を読んだ当時、全てがゼロからのスタートだった自分に何ができるのか、大きな不安を抱えていたのを覚えている。
本を読んで、教科書からこぼれ落ちた史実を知った。
真岡出身者の元へ足を運び、捻じ曲げられた事実に戸惑いを覚えた。
そして、その舞台となるホルムスクを訪れ、今そこに住む人々と触れ合った。
「知らない」から、ちょっとだけ時間が経った私は、都合が悪いからと闇に葬られた存在を見て、胸が苦しくなった。
本作で語られた話は、私が生まれる半世紀以上前のできごとである。けれど、意図的に“隠された”歴史の先に、自分たちの存在があって、当の私はその人々や、土地の間近にいながら、今まで何も知らなかったのだ。
私だけではなかった。その島の場所も、呼び名さえも知らない人がたくさんいた。
これが、全てを捨てて故郷を離れた人たちの未来か。

本作は、私と樺太との原点になる作品である。一生をかけて、乗り越える課題は多く貰った。自分が何処にいて、何処へ行き、何をしたいのか。今だって、気を抜けばすぐに飲み込まれて窒息しそうな中にいる。
でも、必死に生きてきたことを、涙を流しながら語る人たちがいる。
その覚悟の大きさに、自分はまだ遠く及ばない。

監督:平野武周

メインビジュアル

まだ何も知らない君へ

予告編

掲載/受賞/上映

  • 「祖父の思い僕が継ぐ 樺太の戦禍伝える 道内出身の大学生2人、記録映画製作へ」北海道新聞掲載(2019.8.17)
  • 全国樺太連盟 情報誌「樺連情報」掲載 (2020.2月号)
    http://kabaren.org/
  • 「祖父が暮らした地 戦争の記憶探して」 NHKおはよう日本(2020.2.27放送)