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【レポート】CILECT ASIA PACIFIC CONFERENCE 2023(藤田直哉先生)

報告者 : 藤田直哉 (准教授/SF・文芸評論家)

1983年札幌生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。批評家。著書に『ゲームが教える世界の論点』 (集英社新書)、『新海誠論』『攻殻機動隊論』『シン・ゴジラ論』(作品社)、『シン・エヴァンゲリオン論』 (河出新書)、『娯楽としての炎上 ポストトゥルース時代のミステリ』(南雲堂)。編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)、『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)、『東日本大震災後文学論』(南雲堂)、『震災文芸誌 ららほら』『ららほら2』(響文社)、『百田尚樹をぜんぶ読む 』(集英社新書)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。

CILECTという、世界中の映画や映像を教える大学の国際的な連合がある。日本映画大学もその一員で、アジア・パシフィックの大会をオーストラリアのブリスベンで行う、それもテーマが「アニメ」だということで、日本から参加・発表しにいくことになった。テーマは、新海誠とアイデンティティ。

 グリフィス大学フィルムスクールの博士過程の学生ラックラン・ペンドラゴンが2021年に発表した『An Ostrich Told Me the World』という短編アニメが、アカデミー賞にノミネートされたほか、ベルリン国際映画祭などに選出され、オーストラリアのテレビに出演するほど有名人になったよう。これで、教員のピーター・モイヤーさんが、すごく熱心に色々なところと交渉して「アニメの大会」を実現させたらしい。その熱気が溢れていた。

9月21日

夜に羽田で飛行機に乗り、21日の早朝にブリスベンに到着。寝不足。そのまま会場に直行し、眠すぎて辛い。

 会場になったグリフィス大学フィルムスクールは、1988年のブリスベン万博の会場跡地にある。公園や美術館、大学などの施設が複合しているとても良い場所。そして、2032年に開催されるブリスベンオリンピックに向けて、建築ラッシュ。

グリフィスフィルムスクールは、それほど大きな学校ではない。学部生700人、院生50人なので、規模は日本映画大学とそれほど変わらず、全貌は見ていないが、施設もそれほど遜色があるとは思えない。

 会場は、映画の上映施設と、その前のスペースが中心。スペースでは軽食やお茶、珈琲が随時提供され、雑談タイムを用意してくれている。発表会場は一か所で、映画館の中で30~40人ぐらいが詰め込まれて、二日間ずっと一緒にいて、ひたすら同じ発表を見るという構成。これは、わざとやったよう。コミュニティ感が醸成されるので、結構よかった。朝8時から夜8~9時までぶっ通しだけど。

参加しているのは、英語圏、白人が多数。工業、テクノロジー系の大学が多い。その中で、アジアの大学からの参加メンバーは、シンガポールのラサールと南洋工科大学が多数。北京大学はオンラインで参加。他、オーストラリアに移住したインドネシア人や、アジアの大学で働く白人など。アジア系の方々、特に女性が大変助けてくださる。ギリシャやニューヨークからの参加もあり。

二日間で、二つのキーノートの講演と、30前後の発表が行われた。

 パネルのテーマは6つ、「1、新しいテクノロジーの使い方」「2、逆境の中での創作」「3、アニメとアイデンティティ」「4、プリプロダクション」「5、専門を超える実践」「6、アジア・パシフィックのアニメ」。

 キーノートは、公共放送であるABCで子供向けアニメ『BLUEY』を作っているJoe Brummと、インドで周縁の人たちとコラボしてアニメを作っているNina Sabnani。

Ninaの活動に出て来る「周縁の人々」は、日本国内では想像できないような周縁っぷりで、たとえば「印税」の概念がなかったりする。インドは「サバルタン」概念の発展した地域だけれども、アジアやパシフィックでは「周縁化された人々」の問題のリアリティが、本当に強いことを感じる(オーストラリアの場合は、アボリジナルが)。

 CAPAもそうだが、オーストラリアでは文化イベントが始まる時に、必ず「過去と現在にリスペクトを払います」「ファーストネイション(先住民)のみなさんは、きっとこの場にもいらっしゃるでしょう」みたいな宣誓をすることには驚いた(四回は聞いた)。多文化主義とポストコロニアリズムが本気だという感じがする。

 以下、それぞれのパネルの簡単な印象と、気になった発表をかいつまんで。

1、新しいテクノロジーの使い方

ひたすら、アンリアルエンジンを中心とした実践と、教育の実例。こんなに短い期間(八週間)でこれほどのものが作れるのか、と驚く。そして、ゲームが中心になっていて、いわゆる「映画」の話なんてほとんど出てこない。出ても、ショートムービーで、いわゆる長編映画の話題は皆無。ゲームの空間を作るのでも、VRでもよくて、映画というものに特にこだわりない、という感じで衝撃を受ける。アウトプットの方法のひとつが「アニメーション」であり、アウトプットに応じて必要な魅せ方の手法を使い分けます、という感じ。最初のパネルの発表5つが全て、そういう発表。北京大学の発表なんて、完全にゲームそのもの、日本でよく見るような派手なエフェクトを使ったバトルものだった。「え、今はこんな感じなの」と衝撃を受ける。

2、逆境の中での創作

これもまた衝撃的。一発目が、グリフィスフィルムスクールのマリア・ゼレンスカヤMaria Zelenskayaさんという方で、ウクライナとロシアの戦争の、ちょうど争っている地域出身で、家族や親族や友人が両方の地域にいる、だから、アニメーションを通じて止めたい、と。戦争で土地を追われた人たちにインタビューし、アンリアルエンジンを使ってアニメーション化していくようだ。

 二人目のVilsoni Herenicoさんは、フィジーの小さい島出身で、島で初めてかつ唯一のPhDかつグローバルに活動している人らしい。普段はドキュメンタリーを撮っているが、コロナで自身のルーツに関わるアニメーション(祖父から口頭で聞いた神話・民話)を制作したとのこと。

 テキサス大学から来たChristine Verasさんは、ホロコースト教育のためにアニメをどう使うか。重くてシビアな内容にアニメーションを活用しようという流れがストレートにあり、日本のアニメの文脈とあまりに違って驚く。

 こういう社会とコミットする短編アニメの方向なら、本学の教育方針と、VFX・特撮コースとを接合できるし、国際的な賞に応募できるから、これを採用してもいいのかもしれない。

3、アニメとアイデンティティ

このパネルで発表。
 一人目は、クィア当事者のJayden Van Winさん、かなり若い人で、グリフィスフィルムスクールの人。クィアアニメの重要性について発表。クィアの表象のされ方がこれまで良くなかった、と怒っている。その中で、ポジティヴな文脈でポケモンの引用があったりした。日本アニメへの言及は全体として少ない中、彼への質問で『セーラームーン』はどうなんだ、というものがあって、「同じ幾原監督の『少女革命ウテナ』の方がクィア的には重要」みたいなやりとりをしていた。日本アニメの若い世代への受容のされ方の一端を見た気がする。確かに、クィア的な文脈で受け取られていると聞いてはいたが、本当にそうなよう(あとで、別の若い発表者と雑談していたときに、『君の名は。』はクィアだよ、と言われる)。

 次は、シンガポールのラサール大学から来た、Fanny Bratahalimさん。中国系かつイスラム教のインドネシア人で、インドネシアの動乱でシンガポールへのディアスポラになったという方。複雑なアイデンティティの混乱について語り、日本のアニメシリーズ『モノノ怪』を見て影響を受け、そこに描かれていた歌舞伎のパフォーマンスを参考に、自身のアイデンティティに関するアニメーションを作っている、とのこと。それと、プラカナン文化(シンガポールやマレーシアに移住してきた中華系移民のハイブリッド文化)を結びつけて創作している。確かにカラフルで歌舞伎に似ている。この一連のカンファレンスで、「布」とか「装飾」とかの研究が、どういう文脈にあるのかが少しわかった気も。失われていく文化、弱さ、女性性、繊細さ、柔らかさ、マイノリティ、的な……。

 次のシドニー工科大学のDeborah Szapiroさんは、自閉スペクトラム症の人たちにアニメーションを作ってもらって、それをちゃんとマネタイズできるようにする、という発表。まずは「契約」という概念を啓発するアニメを作ったよう。そういう公的な仕事を発注してもらうようにして、ちゃんと(結構重い)自閉スペクトラム症の人たちを、商業的なアーティストにしようとしている(それが出来る制度や体制がある?)のが興味深かった。

 そして、自分の発表。新海誠は、日本における第二次世界大戦後のアイデンティティ喪失、ニューメディア時代に向けての伝統との葛藤、それらを構造化して新しいアイデンティティの構築をしようとしているんですよ、それが日本のみならず中国や韓国でもウケているんですよ、という話がどこまで通じたか。戦争や争いではなく、協調していくための新しいアイデンティティの模索があるのではないか、という話をする。

 そもそも、ルーツやアイデンティティの問題に、自分事として悩み、郷愁を感じているような発表が、アジア系の人と女性しかいなかったのだが、それはどういうことなのだろうか。彼らの発表ではWesternizeやWestern educationという言葉が頻出するが、西洋人の発表ではそういう言葉は出てこない。自然で、伝統とも連続性あるように感じているってことなんだろうか。自分はアジア人側の感覚を持っているんだなということを、否応なく痛感する。

発表後、公園を歩いてブリスベン川に行き、船に乗って、パワーハウスを改築した飲食店で軽食とクイズ大会。横浜に留学していたという、韓国系のオーストラリア人の学生が、日本語で話しかけてくれる。日本や日本文化、アニメなどに好意がある人たちが、こうして時々助けてくれて、ありがたい。

川は橋がライトアップされていて美しく、パワーハウスは横浜のレンガ倉庫みたいな感じ。クイズは、アニメに関する問題が30問で、チーム戦にすることで、参加者同士のコミュニケーションが発生するようにしてくれていた。日本やアジアの問題を入れたり、CGアニメーターなら分かる問題があったりして、それぞれに花を持たせるような問題の設計。「ジブリの語源は何か」「宮﨑駿は何回引退宣言をしたか」など、4問ぐらいの正解に貢献。

終了後、ホテルに行く道で、ロックミュージシャンみたいな風貌のニュージーランドからの参加者Andrew Kunzelさんが、宮﨑駿や、日本の自然などについてのことを聞いてくる。「日本は国土の60%が森って本当か」など。「あんまり平地がない」「自然と密接だった暮らしだから自然を神と考えるようになったんだ」などと答える。ニュージーランドも緑が多いので、自然が好きだ、と言っていた。こういう受容のされ方をしているんだな、と。宮﨑駿の知名度は本当にすごい。

9月22日

4、プリプロダクション

CGアニメーション、キャラクター作りなどについてのパネル。
 Hans Gunnar Brekkeさんは、『ジュラシック・パーク』『ロボコップ』などの特撮監督フィル・ティペットのCG作品における創作プロセスの研究発表。面白かったので、お茶の時間に話しかけると、ハンスさんは『MAD GOD』に参加し、フィルのスタジオで働いていることが判明。「『MAD GOD』をどうやって観たんだ?」と訊くので、「普通に劇場で上映されてたよ、観るべき映画だとマニアが騒いでいたよ」というと、本気で驚いて喜んでいた。「アナログの特撮が大事だとフィルが言っていた、物理だから」と言うので、「うちの大学でもアナログ特撮を教えようとしている。尾上克郎という教員がいる」と言ったら「Look up」(尊敬している)と。そして「Raymond Fielding『Techniques of special effects of cinematography』という教科書をフィルから教えてもらった、これを使うといい」と推薦してくれた。フィルのスタジオは、学ぶ者を受け容れていて、無給だけど、フィルがあらゆることを教えてくれるよ、みたいなことも言われる。

 キャラクターデザイン、TRPGの応用というような発表が続き、ロチェスター工科大学の女性アニメーターVanessa sweetさんが、気候変動を世に訴えかけるためのアニメーションづくりについての発表。もうほとんど、アジ演説のような痛切さで、科学的な気候変動のエビデンスを延々と提示していく。気候変動のシビアさについての認識は、日本より相当激しいと思う。オーストラリアのニュースを見ていたら、毎日気候変動、エネルギー政策、山火事を扱っていて、リアリティが違う。木々が乾燥して燃えやすいから、湿気が多い日本とは異なる危機感・切迫感があるような感じがした(着いたその日が異常気象で熱波が襲っていた)。

5、専門を超える実践

スウィンバーン工科大学のEmily Cookさんの発表。X線とか放射線の研究をしていて、数学を教えている女性。「女性ならではの感性や共感」という言葉がどうして問題になるのか、よく分かる(知性や理性はないことになっているのか、という)。レゴを使った、数学の概念を教える教育的なアニメーション作りについての発表。アニメーションをこういう具体的な実用のために使うという発表は実に多く、日本の「アニメ」の文脈との違いを感じる。

 次の南洋工科大学のDavide Benvenutiさんは、遺伝的な難病について分かりやすい理解を伝えるアニメーションの研究。技術寄りのアニメーターだと思うが、結構シビアな病の人たちにコミットしていて、映像の持つ「分かりやすく伝える」機能をどう活用するかを考えている感じ。

 次のYoel Hillさんは、グリフィスフィルムスクールの博士課程。彼は面白くて、新しい総合芸術を開発している。フォグスクリーンへの投影と、スクリーンへの映写と、生のパフォーマンスを組み合わせ、リアルタイムに観客の質問や応答によって変化していく「アニシャーマン」という表現を作っている。そこで、パフォーマンスで参考にしたのが、日本の「弁士」で、「MAESETSUMEI」とかを解説していた。彼の喋り方も弁士っぽい。妹さんが韓国に留学していて、パンソリか何かを教えてもらい、そこから弁士に辿り着いたらしい。「まだ日本に弁士がいて、年に何回かうちの大学でレクチャーしているよ」と教える(前日に雑談したとき、「俺はバンシーの研究をしているんだ!」とテンション高く言われて、「バンクシー?」と勘違いしていたが、まさか「弁士」だったとは)

6、アジア・パシフィックのアニメ

シドニー工科大学のIan Thompsonさんは、ベトナムの難民たちのドキュメンタリー・ドラマを制作。ベトナムのシルクプリント風の画面を、アンリアルエンジンとRokokoというモーションキャプチャーを使って作っていて、アーティスティックなタッチ。作ったのは修士課程の学生たちで、実際のベトナム難民の子孫で(登壇もしていた)、家族から話をリサーチして作ったようだ。

 南洋工科大学のAndi Sparkさんは、シンガポールのパラナカン文化とオーストラリア文化を結びつける。多文化主義・ハイブリッド社会を考察するような内容。
 メルボルン大学のChristie Widiartoさんは、アジア系の女性。マレーシアの幽霊であるポンティアックを扱い、フェミニズムの観点から、それを「喪失」と「報復」の物語と読む。男性のまなざしや、社会不正、暴力の被害などを表現しているのだと。そして、かつてのインドネシアの儀式が、この「報復心」「恨み」を浄化していたように、アニメーションで儀式を代行するのだ、ということを言っていた(『ゴジラ』っぽい?)。

 ラサールのAng Qing Shengは、動物を守るため、エコロジーを教えるためのアニメづくりの発表。作るプロセスで学ぶことが重要、という論調が多いが、彼もそんな感じ。

 ロイヤルメルボルン工科大学のMikala DwyerとGina Mooreは、彫刻家と3DCGアニメーターのコラボで、行政からの発注で動物の3DCGを作っていたが、これが瞠目すべきレベル、動物を観察する目の確かさとこだわりで、今まで見た動物のCGの中でもっとも複雑でリアリスティックなものだった。「自然への植民地的な観察をどう辞めるのか」みたいな問いまでそこに含まれている。

フィルハーモニック

発表(ピッチング)が終わったあと、いったん解散。その後、グリフィス大学のオペラハウスで、フィルハーモニック(シネマコンサート)が開催。始まるまでの時間で周辺を散策。人工ビーチやプールが無料で開放されており、人が泳いでいる。蛍光色で橋や道や文化施設が彩られており、総合的に美しいデザイン。木をとても大事にしている。飲食店はオープンなテラス席が多く、大量の人。マルシェのような店も開かれている。会場のオペラハウス横では、ロックかポップスのコンサートが開催されていた(ブリスベンフェスティバルの一部か)。オペラハウスでは、開場まで皆がシャンパンなどを飲みながら社交している。

フィルハーモニックは、要はシネマコンサートなのだけれど、一本の映画を丸々見せて演奏するのではなくて、短編アニメーションにオーケストラの演奏をくっつけていて、一部の映像も学生が作り、作曲も学生がしたとのこと。この作曲はコンペになっているらしく、発表と受賞をした学生は華やかで良さそう。ブリスベンフェスティバルと、CAPAのクロージングとしての海外のお客さんのおもてなしと、学内のモチベーション向上を一挙両得で実現させるうまい設計。フィジーのVilsoniさんは大変感動して「帰って仕事したくない」と言っていた。これは、昭和音楽大学さんとアルテリッカと組めば、本学でも不可能ではないような感じがした(『ゴジラ』のフィルムコンサートもやっているし)。

ここで、『An Ostrich Told Me the World』のメイキングの上映。本人もいて、大喝采。学生がアカデミー賞にノミネートということの、学校を挙げた(どころか、国を挙げた?)歓びようがすごい伝わってくる。CAPAに集まったアニメーターたちも、その作品と彼の名前は覚えただろう。プロモーション、学生育成として上手い。

 終わったあとの高揚感は相当なもので、連日の詰め込まれたピッチングを聞いて、発表し、そして……という時間と空間の設計がものすごく上手い。その辺りは、どうもピーター・モイヤーさんが、相当考えて設計して(海外のカンファレンス行って、会場に数人しかいなくてさみしかったから、とか言ってた)、苦労して交渉して実現させたんだと思う。こういうおもてなしが出来たら良さそうだな、と勉強になる。

9月23日

ここからはCILECTではないが、ついでなので、Anim’Action Film Festivalを見学。これは、フランス大使館が主催の、アヌシー国際アニメーション映画祭の出張版のような感じ。

 まずはLaurent Auclairのマスタークラス‘Screenwriting: Create and Develop Memorable Characters’、場所はスタジオで、本学よりも小さな感じか。内容は、魅力的なキャラクターを作るにはどうすればいいか。受講者はほとんど学生で、最初は10人ぐらい、遅刻してきて20人ぐらい。パワーポイントを使って、実際に作る時に気を付けた方がいいことを箇条書きで伝える、ノウハウ伝達型のスマートな内容。クリアで明晰。『ミニオンズ』などを例に出す。賢い学生がいて、一番前の真ん中に座った女子が、「じゃあ『ジョーカー』はどうか、『逆転のトライアングル』はそれに当てはまらないのでは……」と質問し、議論になっていく。こういう教え方なんだなぁ、と感心。

 次に、アヌシーの短編傑作アニメ上映。社会派のアニメーションが多く、日本の学生にも見せると刺激になるのではないか。そして、本学の伝統的な教育法(現実の人間・社会・歴史などをちゃんと見つめること)とVFX・特撮・アニメ的なものを学びたい学生のニーズのクロスポイントはここではないか、などと思う。学生にシリアスな短編アニメを作ってもらって、アヌシーなどに応募してもいいのかも。

午後から、谷口ジロー原作『神々の山嶺』をフランスでアニメにしたパトリック・アンベール監督がいらっしゃる予定が、「予期せぬアクシデント」でキャンセルに。発表のときの質疑応答でもサポートしてくださった現地の研究者・Barbara Hartleyさんと合流し、美術館のカフェでお茶をすることに。

 アボリジナルの表現を見に行くつもりなんだというと、『ART & ACTIVISM IN THE NUCLEAR AGE』と『BLACK MIST BURNT CUNTRY』という本をくださった。これは、オーストラリアでの核実験でのアボリジナルの被曝について、アボリジナルサイドからの表現(絵画)が掲載されているとのこと。

『ART & ACTIVISM IN THE NUCLEAR AGE』は、シドニー大学で開催された展示で、ウクライナとロシアの戦争から、冷戦と核兵器の紹介、原発事故の紹介、そして峠三吉の本や、丸木夫妻の「原爆の図」を見せたり、原爆投下後に市民が描いた絵があり、岡本太郎やChimPomさんの紹介もあり、様々な反核のアクションと作品の紹介がなされていた。うーん、日本でこういう展示、やらないねぇ。日本がやるべき題材だと思うんだけど。

 雑談していて、日本では『オッペンハイマー』が上映されていないんですよ、と言うと、驚いていた。そして流れで翌日一緒に観に行くことに。

バーバラさんに教えてもらい、クイーンズランド・アート・ギャラリー&ギャラリー・オブ・モダン・アートでのアボリジナルの展示を見る。全て無料。

 クイーンズランド・アート・ギャラリーでは、常設展であろう「オーストラリアのアート」のうち半分ぐらいがアボリジナルの作品だった。バーバラさんいわく、90年代以降とのこと。ダイナミックなことするなぁ。ナショナル・アイデンティティとの繋がりも深いだろうに、よくここまで出来るもんだと感心しながら観る。特別展は「オーストラリアの抽象」で、アボリジナルの伝統的な絵などの影響を受けた作品を「抽象」に接続する文脈を作ろうとしていて、面白い。

ギャラリー・オブ・モダン・アートでは、もう少し現代よりのアボリジナルと、パシフィックのアートが展示されていたが、ちょっと「日本」っぽい感じがした。藁や木を使って作るからだろうか、日本の昔の暮らしによく出て来る茣蓙とか笊によく似てる。Andrewが、「アボリジナルとアイヌは遺伝子的に似ているらしい」と言っていたが、そういうこともあるかもというリアリティを感じてくる(何と比較してどの程度近いと言うのか、という話でもあるが)。柳田国男の「海上の道」じゃないが、パシフィックの島々としての文化的な連続性、その中の日本、みたいなことも考えなくてはいけない気もしてくる。

アボリジナルアートの、土地や自然に「聖なるもの」を感じ、輪廻転生する魂や霊を表現するという感じは、原初的な神道と似ている感じがして、興味深い。そういう表現の持つ「強さ」も確かにある。これを、どういう風に考えたらいいのだろうか。

クイーンズランド州立図書館のアボリジナルの展示では「虐殺masacred」「奴隷化slaved」「侵略invaded」という言葉が堂々と使われていて、アボリジナルが叛乱のために犯罪をしたりしたことも肯定的な文脈で紹介。それが、赤ちゃん・幼児用スペースのすぐ前の壁に書いてある。日本とは随分と違う。

夕方にAnim’Action Film Festivaに戻り、2023年のアヌシーで観客賞に輝いたBenoît CHIEUX『SIROCCO AND THE KINGDOM OF AIR STREAMS』を観る。そこそこ面白いんだけど、そこそこかなという感想を持ってしまう。アカデミー賞常連の、アイルランドのスタジオであるカートゥーン・サルーンもそうだけど、宮﨑駿に内容や動きで影響を受けた世代の作るアニメが多く、本作もそう。主人公たち二人の姉妹は『トトロ』、風で飛ぶ描写が多い、『ラピュタ』的なシーンや『ハウル』的な城の崩壊もあり。しかし、宮﨑が何十年も前にやったことに達していないのではないか、踏み込みが甘いのではないのか、と正直思ってしまう。これは単に自国びいきの感情ではないだろう。

9月24日

初日は35度だったが、この日の朝は雨で、10度台だったと思う。

 まずは、クイーンズランド博物館を見学。恐竜の特別展をやっていた。特別展は見ていないが、常設展はインタラクションなものが多く、子供が遊んで見る施設という感じ。笑ったり跳ねたり走ったり子供が楽しそうにしている。こういう風に教育施設として活用されているのは良いと思う。

橋を渡り、旧市街へ。もともと州の財務省的な建物だったものを、カジノにしたというトレジャリーカジノを見学(写真は帰りに撮ったもの。夜)。カジノというと、映画などではカッコいいイメージだが、現実に見ると、ゲームセンターとかパチンコ屋に近い感じで、お客さんもそれに近い雰囲気。

旧市街は、ヨーロッパ風の建築のアーケードがあるショッピングモールで、中には100均のダイソーやゴンチャがあり、『太鼓の達人』などのゲーム機があるので、どこの国に来ているのかよく分からなくなる。これはこれで、『ブレードランナー』的な街の経験。

ブリスベン市の博物館にいくと、またしてもアボリジナルの虐殺と搾取から展示が始まる徹底っぷり。RESIST REBEL RECLAIMなんて書いている絵を、堂々と飾っている。一番最初の作家として展示しているのが、Gordon Bennetという作家で、白人コミュニティで育ち、テレコムで働いていたけれど、自分の生みの母がアボリジニの孤児だと知って、会社辞めて大学入りなおして画家になっていて、面白い。ポストモダン的な技法とアイデンティティの混乱、混淆みたいな主題がマッチしている、か。

その後、100年以上前に作られたクラブハウスを改装したエリザベスシアターで、バーバラさんと『オッペンハイマー』観劇。英語の会話の細部やニュアンスを理解し損ねているが、日本で公開して問題ある内容とは思えない。『ゴジラ』の芹沢博士はじめ、「とんでもないものを発明してしまって苦悩する科学者」は、日本の観客に馴染みがあるのでは。赤狩りというか、査問の場面をクライマックスに長々やっているところが、今っぽいというか、未来の危機への真剣な危惧が政治的に誤解される状況はリアルな感じがした。

 鑑賞後、バーバラさんと回転ずしを食べながら、感想を言い合う。

9月25日

早朝にホテルを出て、空港に向かう。さらば、ブリスベン。せめて上空からでも見たいと思い、窓際の席から下を眺めてグレートバリアリーフを探す。それにしても、「自然」が全然違う。あまりにも壮大。自然観もそりゃ違うだろう、と納得。

 たった五日の滞在であるが、自然や社会、価値観や文化の大きな差を体感し、感覚や思考が開けていく感じがある。日本にいて「当たり前」に思っていることは、全然当たり前でもないのだ、違った風に人間や社会はあれるのだな、ということを改めて感じさせられる。それから、理解したり感じたりすることの文脈がよく分からなかったものが、突然ピントが合うように分かって来る。その場に行く、直接そういう人に出会う、という経験は、やっぱりネット時代でも大事だし、どんどんしていった方がいいな、と思った。

 ここで得たものを、うまく大学での授業などに生かしていくことが出来ればと思う。

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