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脚本家

足立 紳

adachi shin
相米慎二監督に
ついていた日々

映画の準備や、コマーシャルの現場、それ以外にも相米さんが行くところにくっついて行っていました。それで1年経ったころに、準備していた映画の話がなくなって、「このままこうしていても、しょうがないよな」と言われ、離れました。

相米さんからは「とにかく書いたら見せろ」と言われていたので、脚本を書いては見せていましたね。

ダメだったら何の反応もなくて、「読んだよ」ということすら言わないです。1本だけ「これは面白かったよ」と言ってくれて、相米さんがプロデューサーのもとを持って回ってくれました。ただ、カタチにはならなかったです。

相米さんのもとを離れてからも、助監督をやっていました。あるとき、相米さんのCMの監督補をやっていた村本さんが初めて長編映画(『MASK DE 41』)を監督をすることになって、シナリオを書いてくれないかと言われたのが最初です。

ひょっとしたらシナリオを書いていった方がはやく監督になれるかもしれないなと思ったんです。結果的にはそうではなかったですけど(笑)。

オリジナル脚本を手がけることが
多い、その理由とは?

僕は脚本コースではなかったので、完全に自己流で脚本の書き方を学びました。ただ結果的に自分のシナリオも、すごく遠回りをしているだけで、脚本の基本に沿った構成になっているのかもしれないです。

企画者が監督でその監督がシナリオを書かない場合は、監督さんがやりたい世界をなんとかして第三者に伝えるための文字にする、それが脚本家の仕事だと認識しています。企画の発信が脚本家だとまた違ってきますが。

いずれにせよ、脚本家の醍醐味を感じるのは、ラッシュや初号を観たときに、自分の想像を超えたものになっているとき。相当うれしいです。人が撮ると思って書いているので、ここどうなっても知ったこっちゃねえぞと思って書くこともあるので(笑)。それがこんなに素晴らしい場面になったんだと思うと、うれしいですね。

迷うことは
若い人の特権

迷うことは若い人の特権だと思います。だから、迷いまくった方がいいと思います(笑)。僕自身、中学から映画の世界に行きたいと思って、そのまま来てしまった。でもいまになってみると、世の中にはこれだけいろんな仕事があったんだ、と(笑)。もっと視野を広げておけばよかったなと思っているところもあるので。

それに、なにをやっていても、映画の世界には来れますから。それこそ大森一樹監督は医大ですからね。だから、普通の大学に行ってもいいし、なにをやっていてもいいと思うんです。

脚本家に向いているのはこんな人!

どんな意見にも耳を傾けられる人

まず、僕自身は向いていないと思っています。なぜかと言うと、机に向かっていることがまずできない。だから書くのに時間がかかるんです。助監督の方がはるかに向いていたなと思うんです。

あと、撮影が終わったものに関しては直しようがないので、意見を言ってもしょうがないですよね。でもシナリオだと、プロデューサーや監督以外にもいろんな人が好き勝手言ってくるんです(笑)。そこに耐えられるかどうかは、大きいと思います。くだらない意見もたくさんあるので聞いているふりだけするような強さも必要かと思います。

[photo]内堀義之 インタビュー初出:FULLSIZE’(2016年発行)に掲載した記事を再構成

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