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映画監督

中野 量太

nakano ryota
そのタイミングに16年間を要した
商業映画デビューまでの道のり

商業映画一本目の
『湯を沸かすほどの熱い愛』で
数多くの映画賞を獲得した
中野量太監督。
だが、そこに至るまでの道筋は
決して平坦ではない。
歩みを進めることができたのは
初監督作品で得た興奮を
忘れられなかったからだった。

プロフィール

中野 量太

nakano ryota

1973年京都育ち。日本映画学校12期 2000年卒。卒業制作『バンザイ人生まっ赤っ赤。』(00)が、日本映画学校今村昌平賞を受賞、短編『ロケットパンチを君に!』(06)、『琥珀色のキラキラ』(08)が高い評価を得る。『チチを撮りに』(12)はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で日本人初の監督賞を受賞し、ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に正式招待された後、国内外で14の映画賞に輝く。『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)は日本アカデミー賞で優秀作品賞ほか6部門を受賞。『浅田家!』(20)は日本アカデミー賞で優秀作品賞ほか8部門を受賞。
公式Webサイト: http://ryota-nakano.com/

【おもな作品】
『バンザイ人生まっ赤っ赤。』(00)
『ロケットパンチを君に!』(06)
『琥珀色のキラキラ』(09)
チチを撮りに』(12)
『沈まない三つの家』(13)
『お兄チャンは戦場に行った?!』(13)
湯を沸かすほどの熱い愛』(16)
長いお別れ』(19)
浅田家!』(20)
デリバリー2020』(20・ネット配信作品『緊急事態宣言』のなかの1本)

近作情報

  • 浅田家!

    監督・脚本/中野量太 原案/浅田政志「浅田家」「アルバムのチカラ」(ともに赤々舎) 脚本/菅野友恵 出演/二宮和也 黒木華 妻夫木聡 ほか (20/日本/127min)
    写真専門学校の卒業制作で学校長賞を受賞したものの、働かず、パチスロ三昧の日々を過ごす政志だったが、あるとき、家族全員でコスプレをした写真を撮り始める──。第44回日本アカデミー賞では最優秀助演女優賞(黒木華)ほか8部門を受賞。23年、フランスで公開され、口コミで評判が広がり、観客動員25万人を超えるヒットに。DVD通常版 ¥3,800+税/東宝

    ©2020「浅田家!」製作委員会

    公式サイト
    https://asadake.jp

──大学を卒業してから、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学されたんですね。

大学時代、まわりが就職活動を始める頃になっても、僕は就職する気がぜんぜん起こらなかったんです。スカバンドでアルトサックスを吹きながら、「いったい何がしたいんだろう」とずっと自問していました。
「表現して誰かを喜ばすことは好きだ、でも音楽ではないな」。「表現の最高峰って何だろう」と考えを巡らせた結果、「それは映画なんじゃないか」と。
映画少年でもなんでもなかったので、友だちからは「なんでお前が映画なんだ」って笑われましたけどね(笑)。

──学校で学ぼうと思った理由は?

無理やり自分を映画の道に押し込もうと思ったものの、どうしたらいいのかわからない。そこで「とりあえず学校かな」と。2校を見学して、なんとなく肌に合ったのが日本映画学校でした。

──現場のプロが講師としてたくさんいらっしゃいますからね。

それも僕、あまり知らなかったんです。今村昌平監督についても同様です。入学したら「『うなぎ』、カンヌのパルムドール受賞」って横断幕があって、「へぇ、すごい人なのかな」と思った程度でした。

この学校に入学した意味って
もしかしてコレなのでは?

──どんな学生時代でしたか?

1年生で、3年生の卒業制作上映会を観たときに「学生でもこんなものが撮れるんだ」って感動したんです。そのとき、「この学校に入ったからには卒業制作を監督として撮ることに意味があるんじゃないか」って僕は気づいちゃった。
まわりは気づいてなさそうでしたけど。高校を出たてのみんなと違って、大学も一浪して入った僕は5年も人生経験が長い分、目ざとかったのかもしれない(笑)。

──〝映画少年〟が多いなか、気後れすることは?

そこは全然大丈夫でした。むしろ今の方が、観ている数が少ないことに負い目を感じます。
卒制の上映会では制作チームがあいさつをするんです。暗いあいさつをするチームは作品もおもしろくない。一方、「観てください!」って生き生きしたチームのものはおもしろい。学生レベルだと、そこなんです。
仲間と一緒にひとつのものをどれだけ一生懸命のめり込んでつくり上げられるか、というところで差が出る。僕はずっと、どうやったら仲間をヤル気にして盛り上げられるか、ってことを考えていました。

──卒業制作を監督するのにはクラスで脚本が選ばれないといけないそうですね。

1、2年生の短編実習でも、クラスで脚本のコンペがありました。1年のときは同票の決選投票で選ばれず監督はできなかった。2年目も同票になり、決選投票で負け。そして3年生。卒業制作のコンペは、なんと同票1位で……。

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※当時と違い、現在の日本映画大学では、
 コース名称と内容が変わったり、
 開講されていないコースがあります。