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映画監督・映像ディレクター

森 義仁

mori yoshihiro
伝えるための情報整理に
経験と知識を総動員する

助監督として映画界に足を踏み入れたものの、
一転、映像ディレクターへ方向転換。
話題のCM、ミュージックビデオを
数多く手がけた後に、
ドラマ演出、そして映画監督への
道を切り拓いた森義仁さんの歩みを探る。

プロフィール

森 義仁

mori yoshihiro

82年三重県生まれ。日本映画学校15期2003年卒。映画の助監督として阪本順治、犬童一心、林海象らの作品などに参加。07年、サカナクション『三日月サンセット』でディレクターデビュー。フリーランスを経て、13年にAOI Pro.に入社。17年に退社し、CluB_A所属となる。

【おもな作品】
MV 欅坂46『避雷針』(17)
ドラマ『恋のツキ』(18)

近作情報

  • ボクたちはみんな大人になれなかった

    監督/森義仁  原作/燃え殻  脚本/高田亮  出演/森山未來 伊藤沙莉 東出昌大 SUMIRE 篠原篤 平岳大 片山萌美 高嶋政伸 ラサール石井 大島優子 / 萩原聖人 (21/日本/124min)
    志した小説家にはなれず、テレビ業界で働き続けてきた誠。46歳になり、二度と戻らない青春の日々を思い返す。その記憶は、原宿のカフェで会った文通相手のかおりまでさかのぼり、「君は大丈夫だよ。おもしろいもん」という言葉が甦る……。
    Netflixで配信中

    ©2021 C&Iエンタテインメント

    公式サイト
    https://www.bokutachiha.jp

──もともと映画好きだったんですか?

好きになったのは中学時代です。『スワロウテイル』が流行っていたりして、「映画を観ることがカッコいい」くらいのファッション的な感覚でした。
ただミニシアター系の映画って、三重県の津市だと観られない。シネコンもまだなかった。なのでレンタルビデオ屋で借りまくる、みたいなことをしていました。

──高校になって日本映画学校(現・日本映画大学)への進学を決めるわけですね。

そんなに勉強ができたわけでもなかったし、卒業したら地元で働くものだと思い込んでいたんですが、母が「あんた、1回東京に行きなさいよ」と。
母は東京モード学園の第一期生だったくらいに〝脱・田舎〟思考があった人で、いまとなってはありがたい言葉です(笑)。「たしかにこのまま地元にいるのもな……。じゃあ自分はなにが好きだったっけ?」と考えた結果、「映像に関わる仕事をしてみたい」。映画監督だとか具体的なイメージはなかったんですけどね。
検索してみたところ、出てきたのが日本映画学校と、あとひとつふたつくらいだったのかな。いまほど大学の映像学科はなかったです。

集中的に映画を浴びて
映画の観方の基礎が育まれた

──入学してみていかがでしたか。

映画通って感じの人が多かったし、どこかに闇を抱えているような人もけっこういた気がします。自分が思い描く〝一般的な大学生〟とは違う、いろんな人がいておもしろかったです。
「岩井俊二が好き」なんて言い出せない、「黒澤明が好き」だなんてむしろ恥ずかしい、という空気もありました。要はディープな人が多いから、〝ライト映画ファン〟と捉えられるんです。「好き」と言うなら、もう一言説明が必要、そういう感じでした(笑)。

──印象に残っている授業はありますか?

当時は今村昌平さんがご存命で、教壇に立たれたことがありました。
壇上から学生を叱咤したりして活力あふれる方なんですけど、見た目は弱々しい。講義を終えて、杖を片手に心もとない足取りで大教室を出ていくとき、僕の前で立ち止まっておっしゃったんです、「おまえ、死んだ魚の目をしてるぞ。大丈夫か」って。「いやいや、あなたに言われたくないよ」と返しました、心のなかで(笑)。

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※当時と違い、現在の日本映画大学では、
 コース名称と内容が変わったり、
 開講されていないコースがあります。