カンヌ国際映画祭、アカデミー賞で注目を集めた
『ドライブ・マイ・カー』。
プロデューサーを務めた山本晃久さんは、
スタジオコーディネーターから
プロデューサーへと
転身した異色の経歴を持つ。
その道のりにせまる。
プロフィール
山本 晃久
81年兵庫県生まれ。日本映画学校第15期映画演出コース2003年卒。東宝映像美術、東宝スタジオサービスを経て、C&Iエンタテインメントに入社し、14年にテレビドラマ『アラサーちゃん 無修正』でプロデューサーデビュー。現在、ウォルト・ディズニー・ジャパン所属。
【おもな作品】
『彼女がその名を知らない鳥たち』(17)
『寝ても覚めても』(18)
『スパイの妻〈劇場版〉』(20)
『ドライブ・マイ・カー』(21)
『ボクたちはみんな大人になれなかった』(21)
近作情報
ガンニバル
監督/片山慎三 川井隼人 原作/二宮正明 脚本/大江崇允 出演/柳楽優弥 笠松将 吉岡里帆 倍賞美津子 六角精児 中村梅雀 高杉真宙 (23/日本/全7話)
東京から山間の供花村へと赴任してきた警官・阿川大悟。犯罪とは無縁の土地での静かな暮らしは、ひとりの老婆の奇妙な死をきっかけに狂気を帯び始める。大悟は「この村では人が喰われているらしい」という噂を耳にする──。
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──映画が好きになったきっかけは?
祖父母に連れていってもらった『男はつらいよ』など、幼い頃から映画に親しんでいましたけど、明確に面白いと思ったのは小学5年生のときにテレビで観た『スタンド・バイ・ミー』です。
そこから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったりを自発的に観るようになりました。多くの映画人同様、自分もハリウッド映画が入り口でした。
──映画をつくろうと思ったのは?
中2ぐらいで映画の仕事に就くための進路を考えるようになりました。
ただその頃、僕は引きこもりだったんです。母子家庭で、おふくろはほぼ家におらず、だいたいひとり。自炊をして節約したお金で、近所のTSUTAYAで毎週のようにDVDを借りて観ていました。
上の兄弟ふたりは中卒で働いていたので、自分も卒業したら映画の業界に行くと思っていたんです。でも町の図書館で「○○の職業になるには」みたいな本を読んでみたら、映画業界に入りこむには専門学校に行った方がいいと書いてある。それで登校拒否モードを解除して、がんばって高校に通ったという感じです。
──中高生のときは映画について語れる仲間がいましたか?
多少はいたんですけど、当時は映画が自分の生活の一部になっていたので、話しても濃度がかけ離れていると感じていました。
親とも会話にならないので、倫理的、道徳的なこと、善悪や、善悪を超えたところの何もかも含めて映画が教えてくれた感覚があります。
映画好きな仲間たちと
作品づくりに取り組んだ3年間
──高校在学中に日本映画学校(現・日本映画大学)に行こうと思われた?
そうです。高2の夏に東京へ行って、いくつか専門学校の体験入学に参加したんです。日本映画学校は実習制作、卒業制作など、活発に映画をつくっている印象を持ちました。