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編集

今井 剛

imai tsuyoshi
表面に出るべきは、
「自分」ではないんじゃないかな

カットの使い方ひとつで、女の子がかわいく見えることもあれば、つっけんどんに見えたりもする。演技が下手に見えることもある。

視点を誰に持っていくかという考慮も大きな要素です。複数登場人物がいるなら、物語の展開を伝えることとは別に、誰の目線に沿えばよいのかをお客さんに提示しないといけない。

「気持ちいいつなぎ」を
編集者の個性とは

僕の場合は基本的に、監督から組み立てを任され、つなげたものをまず提示します。助手につなげてもらって、それをチェックするというやり方もありますが、1コマ2コマの違いかもしれないけど、違うところがある。結局自分にとっての「気持ちのいいつなぎ」を表現しようとしたら、自分でやるしかないんです。

「気持ちいい」と言いましたけど、編集マンなら、「なぜこのカットのあとにこのカットをつなぐのか」という論理が絶対あるはず。論理、そして感覚、このふたつの融合点に、「気持ちいいつなぎ」があると思います。

融合点は、編集者それぞれによって差異があるかもしれません。差異とは個性なのかもしれない。ただ、個性があってよいのかどうかというと、わからない。

映画を観ていて「あの人の編集だ」って気づかれるなら、それはそれで素敵かもしれません。でも一方で、まず編集マンは「その作品に一番適した編集としてどういう表現をするべきか」ってことに悩んで作業をしているはずだから、表面に出るべきは「自分」ではないんじゃないかな。

思い入れを排除して
シビアな判断で臨む

編集マンは撮影現場に行かない方がいいって言う人がいます。

実際、僕もあまり行きません。「ねばって撮った」と知ってしまうと、「ねばったんだから、いいカットなんだ」って思ってしまいがち。そういう意識を感じたくない。思い入れを受け取ると、素材を切ったりつなげたりする仕事なので、胃潰瘍になっちゃう(笑)。身体がもたないので、聞きもしません(笑)。

もちろん、こだわり自体は不可欠だし、それが画としての力になります。でも編集マンは現場のこだわりは極力考えず、まず編集すべきです。思い入れを抜いた方がよくなると感じたら、抜かなければならない。

作品を公開すると、評価、数字、結果がついてきます。お客さんは辛口です。だからこそ、スタッフに沿うというよりは、制作の流れの最後の工程で、お客さんに一番近いところから意見を述べる──これが編集という立場です。

結びつかないはずの
カット同士がつながるとき

「この作品に出会っていなければ、この表現はできなかった」と感じる瞬間があります。これこそが、この仕事の醍醐味です。

「このカット同士はふつうなら結びつかないのに、この作品の場合はなぜかつながる」ってときは、「たまんないな!」って感じますよ。

学生時代に得ることができたもの

「観客の飽くなき欲求」という言葉

これは、編集コースの卒業制作とは別に参加した、ドキュメンタリーゼミの卒制のときの、「じゃぱゆきさん」の執筆で知られる講師・山谷哲夫さんの口癖です。いまもこの言葉が〈出会った作品をさらに良くしよう〉と思う原動力。

「観客の、映画に対するどん欲な欲求に、この作品は表現が追いついているのか? 面白い!と言わしめる作品になっているのか?」と自問しながら編集に向かっています。

[photo]井田ゴロー 初出:ピクトアップ82号(2013年4月取材)。FULLSIZE’(2016年発行)に転載した記事を再構成

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