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プロデューサー

山本 晃久

yamamoto teruhisa
自分が好きな映画は
その程度のものだろうか。

契約社員で1年間、アシスタントプロデューサーをしながら自分の企画をせっせとつくっていました。
でもアシスタントプロデューサーは本当に雑用で、それがどういった意味のある作業なのかわからないまま次から次へとこなしていくしかない。その間に自分の企画を正鵠を射たものにしないといけないから大変です。そのときは、いつか久保田さんから「お前がこの会社に必要だ」と言われるような人材になろうと必死でした。
ラッキーなことに2年目に企画が通った。それがテレビ東京の『アラサーちゃん』。C&Iは企画者集団なのですが、企画が通ったことで正社員になりました。

「映画は豊かなもの」という
実感を獲得するために

『アラサーちゃん』はプロデューサーとしてのデビュー戦。美術監督を東宝スタジオ時代によく話したりご飯を食べていた矢内京子さんをはじめ、音響監督を浅梨なおこさん、撮影を池田直矢さんと、錚々たる人たちに参加してもらうことができました。
いま思えば非常に過酷な撮影スケジュールでした。瀧悠輔監督はこの作品がチーフ監督デビューだったのですが、一緒に死線をくぐった戦友と言える存在です。ありがたいことに『アラサーちゃん』はいまだに配信でも売れています。

──『アラサーちゃん』をやり終えて、プロデューサーとして目指すべきビジョンは確立したのですか?

僕の映画観では、映画は豊かなものなんです。でも20代のときにつくった自主映画は観客に対しておそらく開かれていないものだった。省みたときに自分が本当に好きな映画はその程度のものだろうかという疑問が湧き上がりました。
プロデューサーになったからには映画はどこまでも豊かであるという実感を取り戻したいというか、自分のなかにそういうものがあるから映画をつくるんだということを改めて思い直して3つの方針を立てました。
1つは『アラサーちゃん』みたいなエッジのあるもの。2つ目は日本映画のど真んなか、メジャーをやる。3つ目は、ヌーベルバーグやアメリカンニューシネマなどにどっぷりつかっていた身として、映画史に連なるような映画、ちゃんと映画に根ざしているという感覚になれるものはつくらなきゃいけない。
結果、割とエッジの効いた作品がどんどんどんどん積み上がり基盤ができたから、そういう作品が多くなっていきました。一方でメジャーは久保田さんの後ろをついていけばいいだろうと考えていた。

監督の後ろに寄り添いながら
作品をより強固にしていく

その頃に出会ったのが濱口竜介監督。現場の様子を見たかったので、『ハッピーアワー』にエキストラで参加したりもしました。
その後、濱口さんと『寝ても覚めても』の企画を立ち上げました。久保田さんは「こんな真面目なシネフィル映画を企画して」と小言を言いながらも、出資会社行脚を一緒にしてくれたんです。行く先々で「濱口さんはすごいらしいですね」と言ってもらえることは多かったのですが、出資は軒並み断られました。
そんなときに久保田さんがぽろっと「ビターズ・エンドさんに行ってみようか」。定井勇二さんに相談してみると、その場で「やりましょう」と言ってくれました。
プロデューサーとして、久保田さん、濱口さん、定井さんとの出会いは大きな転機でしたね。

──プロデューサーとして心がけていることは?

僕は、監督にとっての最初の観客はプロデューサーだと思っています。制作中、監督がつくりたいものを一緒に見ているけど、プロデューサーは監督より後ろに立てるんです。そうすることで見られる範囲が広くなる。
後ろから寄り添いながら、「監督が見たいのは、もしかしてこっちじゃないですかね?」と伝えることで、「ああ、そっちもあったんだ」と作品がよりよくなってくれたらいいなと思っています。そういうことがゼロ距離でできるのは、面白いですね。

オススメこの一本

撮る喜びに溢れ、作品づくりの鑑にもなる
『大人はわかってくれない』

自叙伝的な映画だけど、それだけにとどまっていない作品。濃密な物語になっていて、ただの愚痴ってわけではない(笑)。
フランソワ・トリュフォーの映画観がつまっていると思います。かつてはカメラを屋外に出すことは大変だった。だからこそ、屋外で撮る喜びが爆発しているようにも感じます。
ラストシーンは主人公が最初は開放に向かっているように見える、でも後にすごく悲惨なものを写しているように見えてくる。その振れ幅がリアルで面白い。
VFXもないし、大変なロケ地があるわけでもない、一所懸命がんばればつくれそうな映画じゃないですか。自分たちが映画をつくるときに、基礎になるようなところがいっぱいあるように感じる作品です。

[photo]久田路 2023年1月に行ったインタビュー

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