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編集

柳 圭介

yanagi keisuke
アニメに興味がなかったので、
「嫌ですよ」と返事をしました。

──どのようなバイトをやっていたんですか?

変わったものだと、移動式のプラネタリウムみたいなドームで3Dの映像を子どもたちに観せる仕事。CMのロケコーディネーターもやりました。でも学生にいきなり撮影場所を貸してくれることなんて、そうそうない。
その経験があったから、ロケに行っても借りた場所を大事に使うようになりましたし、編集でも素材の重みを感じるようになりました。それは「編集ばかりやっていても、編集はうまくならないよ」という岡安先生の教えだったと思うんです。

映画をつくる過程で
意見をぶつけ合うことも必要

──学校にはすぐ馴染めました?

最初は馴染めなかったです。若いときって、がんばることがかっこ悪いと思いがちじゃないですか。その延長で、映画学校の授業の人間研究でディスカッションをするときは、自分の考えを伝えることもそうだし、意見に賛成してもらえなかったら恥ずかしいと思っていたんです。
でも、次第にこうじゃないかと発言できるようになって、2年生の頃には馴染んでいました。映画を1本つくる過程では、意見をぶつけあうこともときには必要なんです。当時はアプローチが下手なので、ケンカばかりでしたけど(笑)。
その経験はいま編集をやっていてプラスになっています。自分も相手が不快にならないような言い方ができるように心がけています。

いまと違ってアニメは
大人が観るものではなかった

──学校を卒業してから、アニメーションの制作会社に。

ポストプロダクションの面接をいろいろ受けたんですけど、全部不合格だったんです。
岡安先生に相談したら、「お前、明日スタジオコメットに行け」と言われて。岡安プロモーションは『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など、アニメもやっているんです。
でも、僕が学生の頃は、いまと違って大人になってもアニメを観ているのは恥ずかしいという風潮があったし、僕もアニメに興味がなかったので、「嫌ですよ」と返事をしたんです。それでも岡安先生は「オレもやってるんだから、行け」と言う。会うだけ会おうと思って行ったら、もう働くことになっていました。

かっこよかった
スタジオのおっちゃんたち

──実際、働き始めて、どうだったのですか?

めちゃくちゃ楽しかったです。制作進行で、実写でいうところのADみたいな仕事をしていました。アニメーターから絵を集めて、いつまでに仕上げてくださいとスケジュールを伝える。
制作会社の50、60歳のおっちゃんのアニメーターたちと飲みに行くと、「お前は実写のことばかり口にするけど、アニメは映画じゃないのか?」みたいなことを言われるんです。
当時、『千と千尋の神隠し』の大ヒットもあってアニメ映画についてよく語りました。「映画のスタジオに入れなかった落ちこぼれがアニメスタッフには多い。何年もかかったけど、アニメも映画として認められるようになった。オレたちは実写に負けない映画をアニメでつくりたいんだ」と力説される。その翌日には、仕事場で子ども向けの絵を描いているわけですけど、「この人たちは本当に映画をつくろうとしているんだ」と伝わってきて、かっこいいと思いました。
当時、アニメの基礎を教えてくれた先輩が梅本唯さんで、朴性厚さんとも、その会社で出会いました。それから十数年経って、それぞれが成長し『呪術廻戦』をつくれたことは大きな喜びです。

面倒をみてやるから
編集室をつくってみろ

──制作進行から編集に移った経緯は?

スタジオコメットで1年半ぐらい働いたのですが、やはり編集をやりたかったんです。それで、ほかのスタジオに編集の空きが出たと聞いて、移りました。
ただ、その会社は1年ぐらいで倒産してしまったんです。制作途中の作品を仕上げないといけなくて、かわいがってくれていた人たちから「オレが面倒をみてやるから編集室をつくってみろ」と言われて、独立することになりました。

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