──ポジションを築くのは難しいですよね。
でもこのあいだ、ギャグを認めなかった同級生から「結婚するからメッセージを送ってくれ」って頼まれたので、動画を撮って送ったんですよ。
──「知るか!」とはならないんですね。
ちょっとでも彼の自慢要素になれたと思うとうれしかったです。
先輩芸人の映画作品群に
惹きつけられた高校時代
──池田さんは子役をやられていたんですよね。
5歳から高2までやっていました。おもにバラエティです。ドラマはオーディションに行ってもなかなかひっかからない。
僕はずんぐりむっくりで「おにぎり食べたいなぁ」ってセリフだけで笑いがくるような子どもでしたから。
──いまはシュッとしてますよ? なにか転機が?
高校のときにギュッと背が伸びた、それだけです(笑)。
──バラエティでは大活躍を?
小6のとき、事務所の方がキャラをつけてくれたことがありました。夏休みの宿題で石を集めて亀をつくったことを伝えたら、「石博士で行こう」となったんです。
──石博士、うまくいきました?
「石」で「博士」なので、寡黙なキャラをつくっちゃったんです、『ポケモン』のタケシみたいな。しゃべらないせいか、ひな壇からすぐいなくなりました(笑)。
──(笑)。それでも高2まで続けたと。嫌になることはなかったんですね。
まわりの子が活躍するなか、僕はキラキラした世界に行けてない。行ったらなんかあるはず、という憧れがずっとあったからでしょうね。
高1になると、M-1の甲子園バージョンみたいなお笑いの大会がありまして……。
──ハイスクールマンザイですね。粗品さんが組んだコンビや、せいやさんのコンビを退けて、近畿地区予選を勝ち抜いたという。
子役をやっていた分、度胸だけはあったんですよ。
その頃、芸人がつくった映画にハマりました。(北野)たけしさんの映画は全部観たし、松本人志さん、内村光良さん、劇団ひとりさん、品川ヒロシさんの作品も……。
ハイスクールマンザイの決勝で東京に来たときは、たけしさんに縁があるスポットを巡りました。たけしさんが願をかけた浅草寺に行ってマネしてみたり。
おばあちゃん孝行のために
決意した大学への進学
──日本映画大学を選ばれた理由は?
僕は大学と同時に養成所(NSC)にも通うというダブルスクールだったんです。NSCは中学校を卒業したら入れるけれど、高校生活を楽しみたかったのでそのタイミングはあきらめて、高校を出たらすぐ入ろうと決めていました。
それとは別に、おばあちゃんが「うちの家系には大学を卒業した人がいない」と言い出したんです。その無念をはらさないといけない。「東京に行く」という目標がずっとあったし、「芸人の道に役立つことを」と考えたとき、この大学がぴったりでした。
──なにが「ぴったり」?
いつか映画を撮りたいという夢もあったし、日本で唯一の映画大学というところに惹かれました。専門学校から大学に変わったばかり(2期生)という草創期に関われることも、おばあちゃんへのプレゼン要素になった。学費も出してもらっちゃいました(笑)。