──芸人を輩出していることは関係あります?
ウッチャンナンチャンさんや出川哲朗さん、バカリズムさん、狩野英孝さん、アルコ&ピース平子祐希さん……、先輩方のルーツであることも、いい説得材料になりました。
映画大学ライフを通して見えて来た
自分のなかの自分が知らない部分
──入学してみていかがでしたか?
まわりは『ハリー・ポッター』が好きな人とか、『ゴジラ』好き、小津安二郎が好きな人……みんなそれぞれ、なにかしらのジャンルを押さえている。
じゃ、みんなが知らないジャンルって?と考えて、コメディ映画──モンティ・パイソンを押さえよう、と。「『俺、「空飛ぶモンティ・パイソン」好きやで』ってイキろう」という勢いでアマゾンでDVDを買い込みました。
そのせいか、実習でコメディ要素のある演出のときに「どうしたらいい?」と相談をされるようになりました。
──自然に役割を任されるようになったと。
カメラを回すのが得意、カット割りの工夫が上手とか、「みんなができないコレを自分は持っている」とそれぞれが気づかされていくんです。
僕は2年で脚本コースに進みました。ペンを手にして書き始めても最初は全然続きが思い浮かばなかったけど、「プロットをつくってそれに添って書けばいい」と教わって、パソコンを使ってみると、全然書ける。学校に自分の知らない部分を見つけてもらった、という感じがします。
大学、芸人、アルバイト
忙しくも楽しかった4年間
──NSCは何年間だったんですか?
1年間です。大学2、3、4年生は、芸歴の1、2、3年目と重なります。なので大学時代にはステージに立っていたんです。
ライブがなくてもネタ合わせをしていたので、稽古がない日に学校へ行って、という生活でした。「あいつなんで今日来ないんだ」ってときも多かったと思います。
──バイトをする時間もなさそうです。
居酒屋、漫画喫茶、カラオケ……深夜にできるバイトをやっていましたね~。新百合ヶ丘に住んでいたんですけど、大学に行って、夕方5時半くらいからライブに出て、9時に終わってからバイトして、朝5時に始発で帰ってきてちょっと寝て、また大学に……。
──4年間で卒業できたんですか。
結局、卒業するのに4年半かかりました。卒業制作の長編実習の単位が取れなくて。大学の4年生まではおばたのお兄さんと、ひのでっていうコンビを組んでたんです。僕が授業を優先すると、向こうはお休みになってしまうじゃないですか。
──卒業制作ができなかったのは心残りではありませんか?
コンビを解散してピンになったんで、その半年はお笑いを休んで卒業制作に集中しました。それで卒業できたんです。
降りかかったショックと
苦節に耐え抜いた1年間
──そしてジャンボさんに声をかけてレインボーを結成した。
僕のなかで、大学生の間は親のすねをかじっていてもいい、という考えがあったんです。大学時代はお母さんも上京して一緒に暮らしていたんですけど、僕は家賃を3万円くらいしか入れてなくて。それで許してもらっていたんですが、卒業したらそうはいかない。学生証もないし、守ってくれるものはなにもない。すごく不安になりました。
──拠りどころがなくなったと。
10月に卒業して、レインボーを組んだその2ヶ月後に、おばたのお兄さんがブレイクした。元相方が売れるって、全部自分が間違っていたように感じるんです。「ネタ担当の僕が、合うネタを書けてなかったからコンビ時代は売れんかったんや。僕のせいや」って。