懲りずにその後も電話をし続けていたら、ついに「分かった。いま日活でやっているから、来たければ来れば」と言われて、「行きます!」って。
ダビングルームを訪ねると、三池組の『龍が如く』の作業をしていて、「そこに座っておけ」と。三池さんはほかの撮影があったために監督不在のタビングで、柴崎さんと中村淳さんが作業をされていました。「もっと上げろ!」「音楽も上げろ! 俺も行く!」みたいな感じで、音自体はもちろん、ライブ感溢れるミックスがそれはもうかっこよくて。
そのとき「アルカブースにもう絶対入る」と心に決めました。その日の帰り、柴崎さんから「どうなの? やる気あるの?」とたずねられたので、「絶対やります」と返事をしました。「じゃあ何日から来なさい」って言われて以来、10年以上在籍していました。
──女性スタッフが入ったのは初めてだったんですか?
そういうわけではありません。やっぱりものすごく忙しいこともあって、たくさんの女性が入ってはやめて入ってはやめて、だったようで、柴崎さんも面倒くさいと思っていたのかもしれないですね。私は「絶対やりたい、男女は関係ない!」という気持ちでやっていました。
監督との信頼関係
映画づくりの一員として選ばれるために
──「とてつもない厳しい」職場を辞めずにいられたのはなぜでしょう。
私はけっこう流されるタイプの性格なんです。会社の流れに身を任せて「寝られないけどがんばる」みたいな(笑)。最初の3年ぐらいは「自分もクリエイティブをするぞ」と考える暇もないほど、仕事と雑務に追われていました。
たとえば主人公が喫茶店でコーヒーを飲んでいる場面があるとして、カップの音が必要なのは想像がつくじゃないですか。でも、画面の奥のカウンターで店主がコーヒーを淹れたり、洗いものをしている音もつくっている。「何だこれ?」と驚きました。2分ぐらいのシーンなのにそんなところの音まで録るって、1時間45分あるこの作品の作業はいつ終わるの?みたいな(笑)。
毎作品、膨大な量の音を録って、加工して、響きをつけて、なじませて、と、ひとつひとつ編集していくんです。
──フォーリーの助手としての仕事の手順を教えてください。
ラッシュを観て、「カップ」「布」「紙」「ボディ」というように、音が必要なものをチェックして、リストをつくって、フォーリーの収録までに、その音をつくるのための道具をすべて準備します。
私が用意したものを見て柴崎さんが「なんだ、これ? ちゃんと画を観たのか? ふつうの紙じゃなくて和紙だろ」という感じで怒られる。その繰り返しです。
仕事を始めたころはその作業をこなすことに必死でしたけど、いつからか自分で音を考えて、この作品に一矢報いてやろうと思い始めるようになっていました。
──アルカブース時代、掲げた目標はありますか?
柴崎さんに付くと、名だたる監督とのダビング作業を助手として見られるわけです。監督たちは「柴崎さんの音を信頼した上で、柴崎さんとディスカッションをして、作品をつくることが好きなんだ」と感じました。その関係性に憧れるようになりましたね。
どの監督とご一緒したいというよりも、そういう関係性を監督と築いて、録音部の方、編集部の方、みんなで意見を出し合う、その一員にちゃんと自分も選ばれるようになりたいと思いました。
──独立したきっかけは?
助手時代から柴崎さんはたくさんチャンスを与えてくださるんです。VIPO など若手の監督の作品の仕事がアルカブースに来た際に、「やってみるか?」と声をかけてくれる。最初は柴崎さんがサポートしてくれるのですが、一度ご一緒した監督から「新作を撮るから、またお願いします」と指名されることも多くて、経験値を積ませてもらいました。
そして柴崎さんから「お前ももういいだろう。そろそろひとりでやってみてもいいんじゃないか」みたいなことも言ってもらえるようになったので、独立してフリーになりました。本当にアルカブースで育ててもらいました。
ZOZOマリンスタジアムで行われた
ゴジラの鳴き声の録音
──山崎貴監督作品に参加されたのは『ゴーストブック おばけずかん』からですね。
そうなんです。いつもご一緒している録音技師の竹内久史さんが『ゴーストブック』を担当することになって、私を山崎さんに紹介してくださったんです。ファミリー向けの作品でちょっとテイストを変えたいという意向もあったみたいです。
オーディションみたいな形で、山崎さんに音を聴いていただいたところ、「じゃあ、お願いします」と言ってもらえました。そして『ゴーストブック』のダビングが終わった日に、「次の『ゴジラ-1.0』もお願いします」と告げられたんです。