FULLSIZE
脚本家

港 岳彦

minato takehiko
脚色を手がけるときも
そこに作家性は表れる

締切が迫っていることを知って、「一番大事にしていたこの話を出してしまえ」と思い立ったんです。未熟なりにも「これが港岳彦だ」と言えるものができた気がします。

──それで執筆依頼が来るように?

受賞作は「月刊シナリオ」に掲載されました。大量に買い込んで、兼業している映画ライターの仕事で知り合ったクリエイターへ、片っ端から送りつけたんです。そこから「ちょっと書いて」という声がかかるようになりました。

原作に描かれたことと
自分が言いたいことをすり合わせる

──とくに近年、多作です。どれも並行して書き上げた作品なんですか。

『イサク』の頃から現在に至るまで、同時進行で複数を並行して書いています。初稿を一本書き上げたら別の作品のプロットをつくれるし、改稿を重ねるあいだにもほかの作品の取材をしたりできるので。

──何本くらい並行しているんですか?

「3本くらい」という言い方をしています。

──本数が多いとウケが悪いってことですか?

「手を抜いているな」と思われてもいけないですから(笑)。
実際には、俳優のスケジュールが決まっているとか、実現性が高い作品を優先することになります。オリジナルでやりたい話があっても、それは後回しになってしまいがちです。

──自己表現の度合いが濃いオリジナル作品も、常に準備しているんですね。

いや、自己表現という意味では、脚色もオリジナルもそれほど差はないと捉えています。たしかに脚色は、原作があるし、技術を駆使するものではあるのですが、結局は作家の倫理が反映される。そこに作家性は表れると思っているので。

──オリジナル脚本をもっと書きたいというわけでもない?

たとえば最近手がけた『仮装儀礼』で言うと、僕は常々、宗教をテーマにした作品を書きたいと思っていますが、原作小説に通底する篠田節子さんの社会へ向けた巨視的な眼差しはとても真似できない。
だったら篠田さんが描いていることと、僕が言いたいことを最大限にすり合わせて面白い作品をつくろう。その方がよりたくさんの人に伝わるんじゃないかと思う。

脚本が立体化される
それは奇跡のような喜び

──最後に脚本家の醍醐味を教えてください。

「脚本的にここが面白いところ」という場面がある。人物同士が対立構造にある物語なら、顔を合わせてやり合うシーンは面白いわけです。役者さんがテンションを上げて、その場面を立体化してくれると、たいへん満足します。
やっぱり僕はお芝居が好きなんです。テキストレベルの仕事は狭い世界。それを立体化するだなんて、なんてマジックだろうといつも思う。脚本が具現化されることは単純に快楽です。

脚本家に向いているのはこんな人

他者が観るものという前提は必須

巨匠なら自分の書いたものを「一言一句変えるな」と言えますけど、最初からそんなふうに貫ける人はいない。脚本は共同作業なので、予算や芸能事務所との関係など、いろんな問題を調整していく能力が必要だし、ときには妥協も。
あと、表現者とは、他者を描くことであり、他者が観るものであるという点で、差別表現をしないとか、ある種の倫理が発生する。それを飲めない人はダメだと思います。
ただし、僕は苦労して脚本家になった方ですけど、それは自分に能力がなかったからであって、そんなに難しい仕事ではないと思っています。

[photo]久田路 2024年1月にご自宅で行ったインタビュー

1 2 3 4

コンテンツ一覧

※当時と違い、現在の日本映画大学では、
 コース名称と内容が変わったり、
 開講されていないコースがあります。