──ベンツで通っていたんですか(笑)?
バイトをしていて、その頃が人生で一番お金を持っていたんです。家を出ていたんですけど、大検を落ちて1年空いちゃったし、学費を貯めようと思っていろんな仕事をやりました。家賃を浮かせるために実家に戻って、家業を手伝わせてもらったりもしたし。
──でもそのお金でベンツを買っちゃったと。
150万くらいの中古ですけどね。それでも学費分は全部貯めて入ったんですよ。でも、かましていたから、「飲みに行こうぜ」って友達をスナックに誘っては奢っていたので、どんどんお金はなくなっていく。
そして4ヶ月くらい経ったとき、中古車屋さんの敷地の土手に突っ込んじゃった。ベンツはべっこり折れちゃうわ、展示していた中古車が乗り上げた土手の土で傷つきまくってダメになるわで、お金は全部なくなりました。それで学費は親に借りました。
──学校にはちゃんと通っていたんですか?
めちゃくちゃ真面目に通っていましたよ。学校というものが生まれて初めて面白いと思いました。中卒だったり裕福でなかったりと、ネガティブに思っていたものを先生たちが「お前、面白いな」って言ってくれて、それがうれしかったんじゃないですかね。
当時は高校を辞めただけでレールから外れたと思われていた。ところがこの学校は外れたことをポジティブに捉える。映画のつくり方はあまり教えてくれなかったですけけどね。
──実習がいっぱいあったのでは?
ありましたけど、僕たちの頃は、「ホラー映画はこうすれば怖く見える」とか「カットバックとはこういうこと」というような技術的なことは教えてくれなかった。その代わり、「お前は誰なんだ」「お前は社会のどこにいるんだ」ってことばかり問われる。そういう風に自分を客観的に考える経験なんてなかったので、すごく刺激的でした。
あとは気の合う連中がいたことが良かった。僕ら4期生って、学校史上、最低に出来が悪い学年なんですけどね。卒業制作で今村賞なしですから。ただ、業界にはけっこう残っているんです。鈴木大介(FULLSIZEでのインタビュー)も編集の今井(FULLSIZEでのインタビュー)も同期です。楽しくて休みの日も学校に行っていました。
──作品をつくりに? それともただ集まっていた?
なんだかんだ、やることがありました。脚本を直したり、撮影の準備をしたり。トラックドライバーのバイトをしていたときは、寝る時間がなくなって大変でした。
──とくに記憶に残る授業は?
ドキュメンタリー実習です。当時起こった外国人同士の殺人事件を追いかけました。容疑者は、死体遺棄したことは認めたけれど殺したことを認めず、死体遺棄容疑のまま母国に帰って行った、という事件。
調査すること自体初めての経験だったけれど、「この事件はこういうことだったんだ」という僕らなりの筋立てが見えてきて、新聞が書いていることが間違っていて、警察もまともに調べていないことがわかってくる。人間の特質に触れることや「どう伝えるか」という考え方など、知らなきゃいけないことが実習に詰まっていました。
それと、後に僕のお師匠さんになる方ですけど、講師の武重さんとの出会いが大きかったですね。
──ずっと悪かった教師運が好転したんですね。
映画の世界に入ってからは、本当に人との巡り合わせに恵まれています。
ずっと学校に通っている
ようなものでした
──現在代表を務めるオフィス・シロウズに参加されるまでの経緯は?
22歳で卒業してから、シロウズに来たのは35歳。13年間は武重さんとずっと一緒にいました。
──その間、プロデューサーになるための準備を?
全然。僕はいままで一度もプロデューサーになりたいと思ったことはないです。シロウズの佐々木史朗さんとも「この作品を監督したい」と企画書を持ち込んだのが出会いのきっかけですから。
──武重さんの元では何をされていたんですか。
武重さんがドキュメンタリーの人で、映画学校の専務理事でもあったので、助監督としての作業だけでなく、やらなきゃいけないことは全部ひとりでやっていました。
取材対象との交渉やロケの段取り、機材の手配、制作的な雑務やら。ドキュメンタリー畑だったことで、ビデオの技術に触れるのも、映画の現場よりも早かった。13年間、仕事をしているという感覚はなかったです。
──面白くて邁進していたんですね。
それはどうなんですかね。武重さんは「こうすればドキュメンタリーになる」という突破口を見つけるのがとてもお上手だった。
映画学校では200枚シナリオという脚本を書く課題があって、武重さんはひとりで何十本も読んで添削をしていたんですけど、ほとんどつまらないんですって。「こうやったら面白くできる」という指導を100本ノックのように何十年もやってきたから、得意なんだとおっしゃっていましたね。
──なるほど。
たとえば「この古民家で映画をつくってくれ」という依頼がある。僕からするとただの民家なんだけど、武重さんはそれを題材にドキュメンタリーを撮って文部大臣賞を獲ったりする。
「この企画どうしよう」ってところから、完成して人に観せるところまで、すべてに立ち合わせてもらえるのは勉強になったし、ずっと学校に通っているようなものでしたね。お金は全然もらえなかったけれど(笑)。
その代わり、やりたい企画を
3本は実現させましょう
──佐々木さんを継いでオフィス・シロウズの社長を務められています。
佐々木さんにはずっと「社長は俺じゃない方がいい」と伝えていました。佐々木さんは「じゃあシロウズはこれで終わりだな」と吐き捨てたり、知り合いに会社の身請け話を持ちかけたり。そのときも僕を連れて行くんですけどね。「なんで俺を連れて行くんだ」と思っていましたけど(笑)。