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プロデューサー

押田 興将

oshida kosuke
直接は映らないけれど
やっぱり何かが映っている

──それでも社長を引き受けたのはなぜですか。

今村さんに続いて、武重さんも亡くなったことが大きかったですね。
シロウズに入ってから、僕は武重さんから離れてしまった。その間もお茶を飲んだり、相談ごとをしたりしていたけれど、一緒に作品をつくることはなかった。武重さんの助手をやらせたら僕は世界一だと自負していて、僕がいたらできていたであろう企画が何本かあったんです。そういう後悔があったんだと思います。

──そうなんですね。

思い入れの強い企画と社長業、その両方をやるのは難しい。なので社長を請けるとき、こう言ったんです。「観念してやります。その代わり、佐々木さんがどうしてもやりたい企画を3本は必ず実現させましょう」「『佐々木はがんで余命いくばくもないんです』と触れ回って製作資金を僕が集めますから」と。
ふくだももこを監督にしたい」というのがそのひとつ。それは『君が世界のはじまり』として公開することができました。あと2本あったものの、それはかなわず逝ってしまいましたけど。
いまでも社長をやりたいとは全然思っていないです。僕は兵隊で使ってもらった方が稼ぐと思うんだけどな。

映画づくりのほとんどは準備
きちんとしていると上がりがいい

──『シティーハンター』が話題になりました。押田さんにとって、どういう作品でしたか。

ホリプロが立ち上げた企画で、Netflixからの「シロウズが関わるなら」という指名があって成立した作品ですが、シロウズっぽくないですよね。僕がやってきたものとは真逆のような作品です。
でもものをつくっている人間なので、ふだんできないやり方、機材、技術に対して、やってみたいという欲求はすごくある。Netflixは予算の多さだけでなく、スタッフに対する考え方や、プロダクションとスタジオの関係など、いままで日本映画でできなかったことができるポテンシャルを持っている。
結果として日本のローカル作品の中ではぶっちぎりに当たった。つくっているときは大変でしたけどね。

──歌舞伎町での大規模なロケなど、苦労が多かったと想像します。

評価されて本当に良かった。鈴木亮平という役者、佐藤祐市という監督と出会えたことは刺激的でした。あそこまでのアクション自体、シロウズでは初めてで、「そうか、じゃあこうしよう」とやっていく作業も面白かった。

──映画づくりの醍醐味をお聞かせください。

撮影期間はたとえば2ヶ月でも、準備は4ヶ月も5ヶ月もやっていて、仕上げはその後3ヶ月も4ヶ月もやっている。4時間の撮影でも、その前々日、前々々日から準備をして、片付けにまた1日かけたりする。
映画づくりのほとんどは準備なんです。そして準備がきちんとしていると、やっぱり上がりがいい。僕はそう信じています。
監督やカメラマンなど、名前が出ている人が映画をつくっているように思うかもしれないけれど、実はつくっているのは名もなきスタッフ。直接映らない仕事が映画のほとんどです。
ものをつくるときの努力に、やりすぎはない。助監督なら、作品を成立させるためにいろんな調査をする。調査したことが映ることなんて10%もない。でも残り90%が役者やスタッフの信頼を得て「あいつに聞けばなんでもわかる」となって、それで現場が回る。
食事の係なら、みんなに温かいご飯を食べさせてあげたいと思うだけで、何かが変わる。それは直接映らないけれど、やっぱり何かが映っているんですよ。
そこを信じられるということが映画づくりの本質だと僕は思っている。そこを楽しめたら映画のスタッフはとても楽しいです。

オススメ! この1本

人と違うことがアドバンテージになる
『さかなのこ』

不登校の小学生が10万人を超えているそうです(文科省が25年10月に公表した調査結果によると13万370人。前年度比2万5258人増)。それは学校に行きたくない小学生が10万人も行かずに済んでいるということで、すごくいいことだと思う。
僕らの時代には、不登校が許容されなかった。親が首根っこを捕まえて学校に連れて行って、給食を食べ切るまで席を立たせない。スカートは膝下何cm、ワイシャツはこういう形とか、すべてを規格化していた。大人たちは規格から外れた生徒に対応できなかったし、「変わった子」に戸惑っていた。
『さかなのこ』はみんなと違うことを許容してくれる映画です。ほかの人と違っていることに自信を持てる。無理にまわりと歩調を合わせる必要はない。それにクリエイティブな世界では、いろんな意味でマイノリティなことは途端にアドバンテージになるんです。

[photo]久田路 2025年1月、東京都新宿区のオフィス・シロウズで行ったインタビュー

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