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脚本家

瀬古 浩司

seko hiroshi
「じゃぁ、何がやりたいんだ」
と自問して行き着いた答え

──入社時の職種は制作だったんですよね。

ただ、「制作から演出になって、演出から監督になるコースがある」と聞いていたので、ゆくゆくは監督になろうと考えていました。意気込みはあったのですが、アニメについてもどうやってつくられているか全然知らなくて。絵を一枚一枚、全部人が描いていると知って、「え?! ウソだろ!」って(笑)。

──前も似たような発言がありましたが(笑)。

万事において行き当たりばったりなんです(笑)。演出さんが修正を入れるときは修正用紙に「こんな感じで」と絵を入れて、その上で動きのタイミングを変えるときにはタイムシートも打ち直すんですけど、それももうちんぷんかんぷんすぎて、「あ、これ、もう無理だな」と思って、監督は即行であきらめました。

──入社後どれくらいの時期ですか?

3、4ヶ月くらいです。当時、演出さんに付いて、制作進行として作品を1本回していたんですが、まず演出は最低限のレベルで絵が描けないとキツい。僕は絵はからっきしで、加えてさっき言ったタイムシート問題とか、あとは放送が迫ってくると『24』みたいな感じで次から次に厄介な問題が到るところで起きる。
演出はすべてのパートに関わっているので、寝る間もなくあらゆる物事に対応しないといけないという状態が1週間くらい続く。家にも帰れないから作画机の下で寝ないといけない。とにかくもう何がなんだかわけがわからなすぎて、これはもう無理だと……。いまは状況がだいぶ変わっているとは思いますが、当時はそんな感じでしたね。

遊びに行く場所もないし
遊び相手もとくにいないし

──制作の仕事は無理をしてやっていたんですか?

「つらかったら転職すればいい」という時代ではなかったから、「とりあえずがんばろう」と思っていました。いい労働環境とはとても言えないけれど、「別にこんなものか」とも思っていましたし。
あともうひとつ、監督をあきらめて「じゃあ、何がやりたいんだ」と自問したとき、学生時代、部屋にこもって脚本を書くという作業が楽しかったことを思い出した。制作進行をやりながら脚本を書くという新たな目標ができたので、自分を保てたように思います。

──お仕事的に余裕があるわけではなかったのでは?

自分の担当話数が終わると次までちょっと間が空いたりして、暇なときはけっこう時間があったんです。当時は出社時間が午後3時で……。

──朝まで仕事がある、ということですね。

「朝までやる」前提の出社時間ですけど、余裕があるときは夜には帰れる。そうすると次の日の朝起きて、出社までの時間に脚本が書ける。

──余裕があると遊んだり怠けたりする人もいるなか、自分を律していたんですね。

スタジオが都心にあるわけでもないから遊びに行く場所もないし、勤務時間がバラバラだから職場に遊ぶ相手もいない。それに脚本を書いている方が楽しかったので。

──書き上げたオリジナルの脚本は、いろんな方に見せていたんですか?

『グレンラガン』の監督の今石さん、副監督の大塚さんと当時同僚だった徳土くんくらいですね。

──その今石さんが続いて監督を務めた『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』で脚本家デビューするわけですね。

大塚さんを通じて「一本書いてみる?」とお声がけいただきました。
それとほぼ同時期に、『グレンラガン パラレルワークス2』というオムニバス作品のうち、1本の監督から依頼を受けて書いた脚本があって、実はそれが世に出た一番最初の作品なんです。監督が友人だったので、気を利かせてくれたところもあったんだと思います。

そんな時間に上げたら
できることが少なくなる

──脚本家として確立したタイミングは?

本格的に書き始めたのは『進撃の巨人』です。さっき言った徳土くんが中武さんを紹介してくれて、それでチームに入れてもらいました。当時はまだGAINAXにいて、制作ではなく企画部所属で、かなり時間に余裕があったのでできたんです。『進撃の巨人』の第1期の脚本作業が終わるくらいのときに上司から「制作部に戻ってくれ」と打診があり、「断ったらどうなりますか?」と聞いたら「辞めてもらうしかない」とのことだったので、フリーになりました。自分にとっての節目ですね。

──その後、途切れることなく作品が続いています。

ありがたいことに。

──途切れない要因はなんだと思われますか?

運よく縁に恵まれた、それに尽きます(笑)。
荒木監督渡辺監督林監督、脚本家の小林さん大河内さん猪原さん、MAPPAの大塚さん、ウィットスタジオの和田さん・中武さんコンビ、クローバーワークスの福島さん……。数え上げたらキリがないですね。
僕には師匠という存在がいないので、超一流の皆さんと仕事をして揉まれながら脚本の書き方を実地で学ばせてもらったという思いが強くあります。それが僕にとって真の意味での学校だったというか……。
あとは、あるプロデューサーから「15時からシナリオの打ち合わせがあるのに、当日の朝とか昼にシナリオを上げてくる人がいるんですよ」というグチを聞いたことはあります。そんな時間に上げられても読み込む時間もないし、できることが少ない。結果としてその打ち合わせは無駄になる。僕は締切を絶対に守るので、そういう面での使いやすさはあるのかもしれないですね。
そのかわり、打ち合わせの回数を少なくしてもらうというわがままを言ってしまってますけど。

──作業時間を確保するために?

そうです。通常だとだいたい週1ペースで打ち合わせをするのですが、作品を何本も並行してやっていると毎日打ち合わせに出かけないといけない。それだと身体が壊れてしまうので、1作品につき打ち合わせは月1にしてもらって、その分、初稿を何本かまとめて出すというやり方にさせてもらっています。その方が効率いいし、打ち合わせに参加するみなさんも忙しいので、文句を言われたことはないです。

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