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2020年4月2日

橋本 光二郎

2015年の年末に公開され、
大ヒットを記録した
青春映画『orange ─オレンジ─』。
メガホンを取ったのは、
名監督たちの作品群で
助監督の経験を積み上げ、
この作品で長編デビューを果たした
橋本光二郎さん。
作品づくりの根底にあるものは、
映画という文化への期待と信頼だ。

プロフィール

橋本 光二郎

hashimoto kojiro

1973年東京都生まれ。日本映画学校第9期脚本演出コース1997年卒。相米慎二、滝田洋二郎、冨樫森などの作品で助監督を務める。初のチーフ助監督は『ニライカナイからの手紙』(05、熊澤尚人監督)。深夜ドラマの演出作品に『Piece』『終電バイバイ』などがある。

【おもな作品】
『orange -オレンジ-』(15)
『羊と鋼の森』(18)
雪の華』(19)

近作情報

  • 小さな恋のうた

    小さな恋のうた

    監督/橋本光二郎 脚本/平田研也 出演/佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 眞栄田郷敦 鈴木仁 配給/東映 (19/日本/123min)
    MONGOL800のヒット曲「小さな恋のうた」から生まれた作品。日本とアメリカ、フェンスで隔てられたふたつの〝国〟が存在する沖縄を舞台に、バンドに情熱をかけた若者たちの青春を描く。DVD発売中/東映ビデオ

    ©2019「小さな恋のうた」製作委員会

     
    公式サイト
    http://www.chiikoi.com

僕が通っていた頃の日本映画学校(現・日本映画大学)は実習がメインで、職業訓練校のようなところがありました。おかげで、卒業してすぐ現場に入っても違和感がなかった。結果オーライ、ってだけなんですけど(笑)。

映画をつくるためには
こういう作業も必要なのか

実習では、たとえばクラスで2本作品をつくる。監督にはふたりしかなれないってことです。監督に選ばれなかったら、監督以外の仕事を受け持つということ。

それは録音部や助監督、プロデューサー的な役回りなど。そうなったときに、すねちゃう人もいるんです、「別にそういうことがやりたくて入学したわけじゃないのに」って。

そこで「映画をつくるためにはこういう作業も必要なんだ」って覚悟を決めてやっていた人の方が、いまも業界で残っている気がします。

実際のところで言うと、1年目の短編はクラス全員が監督を務めた記憶があります。2年目以降、卒業までに、機会はおそらく6回くらいあったと思うんですけど、僕が監督に選ばれたのはドキュメンタリー実習の1本だけでした。

卒業制作はクラスのみんなが書いた脚本から2本を選んで、それをつくる。脚本を採用された人が監督を務めるわけですが、僕の脚本は選ばれなかったので監督はできませんでした。

映画=エンターテイメントの
パーツのひとつになりたい

在学中に学んだことは「才能のあるヤツって、いるんだな」ってことです。同じ授業を受けているのに、明らかに上手い人や才能を感じる人がいる。そして「才能だけでやっていけるわけでもないんだな」とも気づかされました。

人間関係が築けない限り、「この人と一緒に撮りたい」と思われることはないじゃないですか。映画を撮るという団体行動を経て、人間関係の縮図みたいなものが際立って見えてきたんです。

幼い頃から才能に目覚めていく人もいるなか、僕は東京の下町の平凡な家庭に生まれて、平凡な生活を送ってきた。だからといって平凡に就職するのは嫌だなと思ったとき、そこに映画があった。

自分が監督として作品を発表していけたら最高ですけど、それよりまず、映画という文化の一部でありたいと思ったことがすべての発端です。歯車のひとつにでもなれれば、と思ったんです。

嗜好はSF、ミュージカル、
そして、人間ドラマへと

映画を好きになったのは中学生の頃です。それまでは親と行くものだったけど、友だちと一緒とか、ひとりで観に行くようになった。そのうちレンタルビデオ屋が普及して、昔の作品がいくらでも観られるようになってきた。

2020年4月2日

足立 紳

映画をつくる上で
最初に必要な設計図であり、
撮影中もスタッフ全員が
肌身離さず持ち歩くもの、
それが脚本。
『百円の恋』で日本アカデミー賞
最優秀脚本賞を受賞、
『14の夜』で映画監督デビュー、
以降、様々な作品を手がける
足立紳さんの仕事の醍醐味とは?

プロフィール

足立 紳

adachi shin

1973年鳥取県生まれ。日本映画学校第7期 演出コース1995年卒。助監督を経て、01年に村本天志監督の『MASK DE 41』で脚本家としてデビュー。12年に『百円の恋』が、第一回松田優作賞を受賞。15年に映画化され、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本、第17回菊島隆三賞を受賞した。16年に『14の夜』で映画監督デビュー。19年、『喜劇 愛妻物語』で第32回東京国際映画祭 コンペティション部門最優秀脚本賞を受賞。

【おもな作品】
キャッチボール屋』(05)
百円の恋』(14)
お盆の弟』(15)
『14の夜』(16・監督も)
嘘八百』(18)
志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(18)
きばいやんせ!私』(19)
こどもしょくどう』(19)
嘘八百 京町ロワイヤル』(20)
拾われた男』(22)

近作情報

  • ブギウギ

    脚本/足立紳 櫻井剛 演出/福井充広 二見大輔 泉並敬眞 鈴木航 盆子原誠 ほか 出演/趣里 製作/NHK (23-24/日本)
    連続テレビ小説『ブギウギ』。ヒロインは趣里。
    「東京ブギウギ」で知られる歌手・笠置シヅ子をモデルにして描く、戦後を明るく照らしたスターの物語。23年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」第109作目。
    NHKオンデマンドで配信中

    ©NHK

    公式サイト
    https://www.nhk.jp/p/boogie/ts/NLPYVZYM29/

もともとは脚本家志望ではなかったんです。漠然と映画の仕事をしたいと思って上京しました。当時は俳優と監督ぐらいしか思い浮かばなくて、日本映画学校(現・日本映画大学)の演出コースに通いながら、夜は俳優の学校にも通っていました。

中学生ぐらいのときに、親が「こんな学校がある」と、日本映画学校の存在を教えてくれたんです。受験をしたら受かったので、浪人するのもなんだなということで入学しました(笑)。授業は割と出ていましたが、ドキュメンタリーには興味がなくて、あまり授業に出なかった。いま思えばしっかりやっておけばよかったと思います。

プロの現場に出れば
こういう厳しさがあるんだろう

入学してすぐに農村実習がありました。とてもつらかったですね(笑)。まだ周囲とも友達ではなかったですし、各家庭に2、3人割り振られるんですけど、僕のところだけひとりでした。

しかも、行った先が本当に手伝いを必要としている農家で、ものすごくこき使われたことを覚えています(笑)。でも、3年間とても楽しかったです。

2年のとき、500フィート実習の指導講師が佐藤武光さんだったのですが、授業に遅刻したときは、むちゃくちゃ怒られました。業界では、おっかないことでは有名な人なんです。体育会系の部活をやっているんじゃないかと錯覚するような厳しさでした。でも、おそらくプロの現場に出れば、こういう厳しさがあるんだろうなと思いました。

シナリオを書くことが
近道ではなかった

卒業してすぐ、佐々木史朗さんの事務所に連れて行かれて将来のことを聞かれたんです。「助監督をしてみたい」と言ったら、「誰につきたいのか?」と聞かれて、大森一樹監督のファンだと言ったら、その場で電話をしてくれました。でも新作のクランクイン直前で、そこからついても勉強にならないということで、その話はなくなりました。

それから数ヶ月後に、また史朗さんから電話がかかってきて、「相米(慎二)が若い奴を探している。一度会ってみないか」と言われて、相米さんと会ったんです。映画をすぐに撮るわけではないけど、1年間ぐらいついてみないかと言われました。

僕は相米フリークではなかったですけど、それも正直に話したら「オレの映画なんか好きな奴じゃない方がいいんだ」とおっしゃって。「月にいくらあれば生活できるんだ」ということも聞かれ、相米さんから直に給料をもらうカタチでみたいなことを始めました。

2020年4月2日

藤本 賢一

映画における重要な要素、〈音〉。
現場、そして編集後のスタジオで、
その要素をすべてコントロールする
録音という仕事。
『八日目の蝉』『永遠の0』で
二度の日本アカデミー賞
最優秀録音賞を受賞した藤本賢一さんに
仕事の奥深さを聞いた。

プロフィール

藤本 賢一

fujimoto kenichi

日本映画学校第1期録音コース1989年卒。フリーの録音助手を経て、『タイヨウのうた』(06)で技師デビュー。『八日目の蝉』(11)、『永遠の0』(14)で日本アカデミー賞最優秀録音賞を受賞。『半世界』(19)で第74回毎日映画コンクール 録音賞を受賞。

【おもな作品】
『八日目の蝉』(11)
鍵泥棒のメソッド』(12)
映画 鈴木先生』(13)
永遠の0』(13)
『ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判』(15)
TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』(16)
海賊とよばれた男』(16)
DESTINY 鎌倉ものがたり』(17)
半世界』(19)
アルキメデスの大戦』(19)

近作情報

  • 52ヘルツのクジラたち


    監督/成島出 原作/町田そのこ 出演/杉咲花 志尊淳 配給/ギャガ (24/日本/136min)
    東京から海辺の街へと引越してきた三島貴瑚。彼女は母親からムシと呼ばれ、虐待されている少年と出会う。貴瑚もまた少女時代に母親から虐待をされた過去があった……。本屋大賞を受賞した小説の実写映画化作品。
    全国公開中

    ©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

    公式HP
    https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

高校時代は、文化祭の出し物として友人達と8ミリ映画をつくっていました。内容は、沼に人が落ちたり、友達がつきあってた彼女のお父さんのいらなくなった車にペイントして荒川に突き落としたり(笑)。

そんな感じで過ごしていたら、卒業が近いのに、進路が何も決まってなかった。そんなとき、ぴあに横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の広告が載っていて、友人の萩生田宏治から「行ってみれば」と言われたんです。

「文化祭みたいなことがずっと続けてできるような学校なら、いいじゃん」と願書を取りに行きました。でも、事務のお姉さんから「もう二次募集で、家に帰って書いていたら間に合わないわよ」と言われたので、その場で書きました。

志望コースは、演出、脚本、テレビドラマゼミと上から3つを選んだんですけど、「そこの枠はもう空いてない」と。

「じゃあ、なんと書けばいいんですか?」と聞いたら、「録音とドキュメンタリーと書いておきなさい」と言われました。だから、僕の人生は事務のお姉さんが決めたんです(笑)。この話を人にすると、だいたいがっかりされます(笑)。

「顔をつぶすわけにはいかない」
助手として現場に行きました

日本映画学校はほかの学校に比べて、プロの現場に軽く窓口が開いているんです。在学中は連続ドラマの現場へ手伝いに行ってました。

学校では友達同士だから、音を録るにしてもすべて対等。でも、プロの現場では、「もう音なんていいよ」と言われる場面もあったりする。それに対して「何言ってんの?」と思っても、上の人間から「いいよ、藤本」といさめられる。

そんな現場、面白いと思うはずがないですよね。だから、プロの現場に行くたびに、「学校生活はいい思い出にして、違う職業につこう……」と(笑)。

そんななか、師匠である本田孜さんに出会ってしまったんです。きっかけは、日本映画学校に実習の指導で来ていた横山博人監督が、紹介してくれて、挨拶したことからでした。そこで本田さんからいきなり「明日からマイクをつくってみますか」と言われました(笑)。

空気を読んだ結果、
ふたたび現場へと

こっちはもういい思い出にしようと考えているのに、横山監督はニコニコしながら「(本田さんが誘ってくれてるんだから)やってみろ」という顔をしてるわけですよ。そのムードは察することができたので、「はい、お願いします」と現場に出たわけです。

そのうち僕は本田さんの事務所に出入りするようになって、ほかの技師の方たちからも「次はオレの作品に来い」と。僕の選択は何もないまま割り振りされて、何の疑問も持たずに続けていた。そして、いまがあるわけです(笑)。

2020年4月2日

金勝 浩一

時代劇、SF、現代劇……。
作品の世界観がもっとも
ストレートに現れるのが美術だ。
脚本に書かれたものに始まって、
文字になっていない
細かな設定までをも
具現化していく作業。
映画からアトラクションまで、
幅広く作品を手がける
金勝さんに、気構えをお聞きする。

プロフィール

金勝 浩一

kanekatsu koichi

1963年東京都生まれ。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)第9期美術コース1985年卒。94年に阪本順治監督『トカレフ』で美術監督デビュー。以降、映画、CM、TV、ネット配信ドラマ、店舗、アトラクションなど、幅広い分野を手がけている。

【おもな映画作品】
『神様のカルテ』(11)
鍵泥棒のメソッド』(12)
『杉原千畝 スギハラチウネ』(15)
『チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話』(17)
6人の嘘つきな大学生』(24)
大きな玉ねぎの下で』(25)
ドールハウス』(25)

近作情報

  • 金子差入店

    監督・脚本/古川豪 出演/丸山隆平 真木よう子 三浦綺羅 川口真奈 岸谷五朗 名取裕子 寺尾聰 ほか 配給/ショウゲート (25/日本/125min)
    一家で差入店を営む金子。ある日、息子の幼なじみの女の子が殺害されるという凄惨な事件が発生する。家族がショックを受けるなか、「差し入れをしたい」と店を訪れたのは、犯人の母親。依頼を引き受けたものの、金子は疑問と怒りを日々募らせていく──。25年5/16〜全国公開

    ©2025「金子差入店」製作委員会

    公式HP
    https://kanekosashiireten.jp

10代の頃、スター・ウォーズシネスコで観て、映画が放つ世界観の大きさに憧れました。ほかにもいろいろなロードショーや、旧作の3本立てを名画座で観ているうちに、いつの間にか「映画をつくりたい」と決心していたように思います。

横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を選んだのは、創立者である今村昌平監督の「映画づくりは米づくりと同じ」という考え方に惹かれたから。

映画も米も、どんなに一生懸命つくったとしても、必ずしも出来が良くなるとは限らない。思い通りにいかないからこそ、結果が読めない面白さがある。その考え方が心に響いたし、あれから時間を経て何本もの作品に関わったいまでも「その通りだな」と感じる。

今村監督の『復讐するは我にあり』に圧倒されたことも大きかった。

「美術も演出しているんだ」
美術監督を目指すきっかけ

映画監督に憧れていたときもありましたが、画面に映っているもののなかで、役者以外のものはすべて「美術」であることに興味を感じたんです。役者の動線を考慮しなければ空間を構築できない、「美術も演出しているんだ」とわかってきて、美術監督を目指すようになりました。

映っているもの、装飾、小道具はもちろんのこと、衣装、メイクも美術だと僕は思っています。映画は総合芸術。ひとりの世界観ではつくれない。絵を描くことや、文化祭や学園祭で徹夜をしながらみんなと作業をするのも好きだったから、作品の世界観を具現化していくこの仕事に惹かれたんだと思います。

意見の中間を取ると
まったく面白くなくなる

場合によっては企画段階から相談されることもありますが、基本的に映画美術の仕事は、シナリオを渡されるところから始まります。監督との事前打ち合わせで根本的な世界観を共有してから、シナリオに書かれている文字を読み、原作があればそれをサブテキストにして、イメージをふくらませていきます。

たとえばパーティーのシーンがあったとします。会場はどこなのか。テーブルはいくつ必要か。何人? 背広、和服? 洋食、和食? どんな風に料理は並べられる? 立食か着席か。時間が経過するにつれて、どの料理がどれくらい減っていくのか。人の動きは?

脚本に書かれていなくても、映画の画面に映るものはたくさんある。それらをすべて具現化して、プレゼンのためのイメージデザイン画を手描きやパソコンで描いていきます。

2020年4月2日

今井 剛

編集とは、膨大な素材を
1本の映画へとつなぐお仕事。
『図書館戦争』『るろうに剣心』
シリーズや『AI崩壊』『劇場』
『窮鼠はチーズの夢を見る』など、
話題作を数多く手がける
今井剛さんの、
編集哲学の一端に触れてみた。

プロフィール

今井 剛

imai tsuyoshi

1969年静岡県生まれ。日本映画学校第4期編集コース1992年卒。JAY FILMを経て、04年、映像編集事務所 ルナパルクを設立。『GOD EATER』『ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~』などアニメーションの編集も手がけている。

【おもな作品】
るろうに剣心』シリーズ(12、14、21)
キングダム』シリーズ(19、22、23)
劇場』(20)
窮鼠はチーズの夢を見る』(20)
今際の国のアリス』シリーズ(20、22)
映画大好きポンポさん』(21)
流浪の月』(22)
THE LEGEND & BUTTERFLY』(22)

近作情報

  • 国宝

    監督/李相日 原作/吉田修一 脚本/奥寺佐渡子
    出演/吉沢亮 横浜流星 高畑充希 寺島しのぶ 渡辺謙 配給/東宝 (25/日本)
    任侠の一門に生まれ、抗争によって父を亡くした喜久雄。上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込んだ喜久雄は、半二郎の実の息子として生まれながらに将来を約束された俊介と出会う。二人はライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくが……。25年6/6~全国公開

    ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025 映画「国宝」製作委員会

    公式サイト
    https://kokuhou-movie.com/

中学校時代に『悪漢探偵』を観て、「アジアでこんなアクション映画がつくれるのなら日本でもできるはず」と感じたことが、映画界に興味を持ったきっかけです。

演出をやりたいと考え、当時3年制だった日本映画学校(現・日本映画大学)に進みました。

興味の向かう先は
映画づくりの最終プロセスへ

入学時は脚本・監督コースでしたが、物語の最終形を組み立てる編集という職務に興味が湧き、2年次に編集コースに転科したんです。

印象に残っていることのひとつは、(転科前の脚本・監督コースの)ゼミで佐藤武光先生がおっしゃった言葉。「ストリップ劇場の踊り子も、最初から裸では面白みがない。じらし方だったり、演出にはそういう感覚が必要」。興味深い発想だと感じました。

プロデビュー作は『妻はフィリピーナ』っていうドキュメンタリー。もともと卒業制作としてつくっていた作品なんですが、一般公開をするため、卒業後に追加撮影をして、その編集も僕が担当した、という流れです。

観たいと思ったときに
観たいものを提示する

編集とは、映像だけでなく、音楽も含めて、緩急をつけながら、お客さんの生理に沿った映像を仕上げる仕事。お客さんの視点に立つ、ということが求められます。

たとえば「何かを探していて、見つけた」というシーンなら、引きの画だけでなく、その物に寄った画も見せる。観客が「観たい」と思ったときに、観たいものを提示するということです。

作業をするにあたっては、現場でどういう映像が撮られたか、その素材があることがまず前提です。たとえば、女優さんのかわいい表情が撮れていたら、当然その画を使いたいと思いますよね? 「では、この表情を活かすために、どうカットをつなぐといいんだろう」と気にしだすと、……自ずと編集方法も見えてきます。

なので、俳優さんが発する力が弱いとヤル気が起きません……というのは冗談ですが(笑)、もし引きの画ばっかりだったら、全体の空気だけを伝えることになってしまう。

そこに、寄りのカットがあれば、「この表情、この目パチを使おう」とか、「目線をこう変えよう」「相手の言葉へこう反応する」などと、見せ方の可能性が広がります。