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2024年3月10日

港 岳彦

映画、ドラマと次々に依頼を受け、
作品が途切れることのない
脚本家の港岳彦さん。
2023年には手がけた
映画3本、ドラマ1本が
立て続けに公開、放送。
平坦ならざるその道のりが
港さんの矜持を育んだ。

プロフィール

港 岳彦

minato takehiko

74年宮崎県生まれ。日本映画学校7期期1995年卒。24年4月より九州大学で教授を務める。

【おもな作品】
『あゝ、荒野 前篇・後編』(17)
『宮本から君へ』(19)
『アナログ』(23)
『正欲』(23)
『仮装儀礼』(23)
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(24)

近作情報

──脚本家の出発点はどこにあったのでしょう。

12歳のときに目を怪我して、半年間入院したことがあったんです。支援学級に通っていた弟のクラスの先生が「だったらこれを読め」と大量に本を持ってきてくれて、やることがないから、ずっとそれを読んでいました。
動物好きの僕を思ってか、ムツゴロウさんの本ばかりだったのですが、そのうち畑正憲が愛読しているという北杜夫のエッセイを取り寄せて読んだんです。そのエッセイを読むと、作家ってずいぶんだらしない毎日を送っている。それで「この職業、最高だな」と思って、物書きに憧れたのが最初です(笑)。
北杜夫は「トーマス・マンを読め」とか、いろんな作家の名前を挙げていて、文章を追っていくうち、中学に入る頃にはドストエフスキーに出会って、その世界観に圧倒されました。

──中学生には難しくなかったですか?

難しい部分もありますが、文体は平易なんですよ。高校に入って映画を観るようになって、映画と小説の中間ぐらいの仕事ってないかな?と考えたら、脚本家があった……振り返るとそんな感じなのかな?

──映画を観るようになったきっかけは?

すごくガラの悪い高校だったんです。勉強しなくていいといえば、しなくてもいい。「せっかくだから趣味でもつくろうかな」と思って映画を観始めました。
当時、『その男、凶暴につき』が公開されて、「監督たけし:北野組全記録」というメイキング本も出た。簡単に言うと、野沢尚さんの脚本を現場で武さんがいかにぶち壊したかという記録で(笑)、クリエイティブの面白さが全部詰まっていた。あの映画とその本の衝撃で、ダサい印象だった日本映画に可能性を感じたし、仕事として携わりたいと思いました。

「演劇活動」という実績は
アピール度が高いかもしれない

──最初から脚本家志望だったんですか?

当時は監督志望だったと思います。高2の頃には日本映画学校(現・日本映画大学)へ進みたいという気持ちになっていました。

──どこに惹かれたんでしょう。

資料に、でかでかと「人間を描く」と書いてあるのを見て「これだ!」と思うところがあったんです。よく見ると「高校時代、どんな活動をしていましたか」というチェック項目もある。思いついたのは「演劇をやれば、アピールできるんじゃないか?」。

──そこで演劇部の扉をたたいた、と。

ところが演劇部は廃部が決まっていて、部室は──いまだから言ってしまうと──喫煙所と化していました(笑)。

2024年3月10日

瀬古 浩司

『進撃の巨人』『BANANAFISH』
『呪術廻戦』『チェンソーマン』……。
瀬古浩司さんが脚本を手がけた
ヒットアニメ、話題のアニメは
枚挙にいとまがない。
時代の寵児とも言えるつくり手の
意外にも「行き当たりばったり」な軌跡。

プロフィール

瀬古 浩司

seko hiroshi

81年愛知県生まれ。日本映画学校15期 映画演出コース2003年卒。GAINAXを経てフリーに。

【おもな作品】
『進撃の巨人』シリーズ(13~23)
『BANANAFISH』(18)
『呪術廻戦』シリーズ(20〜)
『チェンソーマン』(22〜)
『WINDBREAKER』(24)
『ダンダダン』(24)

INFORMATION

──もともと映画がお好きだったんですか。

母方の親戚に映画マニアの叔父さんという人がいまして、その叔父さんがダビングしたビデオが大量に家にあって、物心つく頃からのめり込んで観ていましたね。『グーニーズ』 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 『スター・ウォーズ』 『スーパーマンⅡ 冒険篇』 『恐怖の報酬』 『ハタリ!』 『シャレード』 『荒野の七人』 『5つの銅貨』などなど……。
で、もうひとつの転機は中学校です。学生帽をしっかりかぶっていないとダメ、授業中にちょっとふざけたら椅子の上で正座、髪の毛が規定より少しでも長いとクラスメイトの前で切られる。体罰も普通にあったし、とにかく締めつけが厳しくて特等少年院みたいな学校でした。それで、映画を観たり漫画を読んだり音楽を聴いたりして、フィクションの世界に逃げ込むことで自分を保っていました。

──高校はどうだったんですか?

一転、すごく自由でした。ヴィレッジヴァンガードや、ちょっと背伸びしてシネマスコーレに通ったり、漫画喫茶に入り浸ったり、ライブハウスにAIRやナンバーガール、スーパーカー、ヤングパンチとかを観に行ったりして遊びまくった記憶があります。
それでいよいよ進学を検討する時期になるんですが、頭も悪かったし、自分のやりたいことはなんだろうと考えて「映画だ」と思い、映画の学校を探し始めました。すると父親が日本映画学校(現・日本映画大学)に関する新聞誌面を見かけて、「こんなのあるよ」と。読むと、映画学校卒業後に提携先のオーストラリアの大学に編入できると書いてある。

──映画に関する大学ですか?

全然関係ないです。経緯は不明ですが、僕が入学する年くらいから始まった制度らしくて、それも込みで「面白そうだ」と思いました。あとは件の映画マニアの叔父さんが川島作品や今村作品が好きで、その影響で僕も今村作品を何本か観ていたということもありましたね。

──それで日本映画学校に入学したわけですね。

はい。入って一番驚いたのは、「映画をつくるのって、こんなに超大変なんだ」ということでした。

これはちょっと
自分には合わないな

ロケ地を選んで許可を取って、役者さんの衣装とか小道具も用意して、カメラもフィルムなので「露出がどう」とか「フィートがなんたら」とか、もうわけがわからない。で、いざ撮影となったら室内なら照明を立てるんですが、「カメラ位置変えます」とか「次のカットにいきます」という度に照明を動かしてまたセッティングして……、ワンカット撮るために数十分、下手すれば1時間以上かかるわけです。映像と音を別々に撮(録)るってことすら知らなかったので、いま考えると「ちょっとは調べてから行けよ」って自分でも思いますけど(笑)。

──でもその気づきのおかげで、より制作にのめり込んでいったわけですよね?

いや、かなり初期の段階で「う~ん、これはちょっと自分には合わないな」と思い始めました(笑)。

2024年3月10日

鈴木 大介

2023年にアニメ『D4DJ All Mix』で
監督デビューした鈴木大介さん。
これまでに担った肩書きの多さは、
多才さの裏付けでもある。
それらすべてに共通しているのは
「つくることが好き」という原動力だ。

プロフィール

鈴木 大介

suzuki daisuke

69年茨城県生まれ。日本映画学校4期ドキュメンタリーコース1992年卒。06年設立のサンジゲンで取締役を務める。

【おもな作品】
映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ!世界をつなぐ★虹色の花(11・CG監督
『009 RE:CYBORG』(12・アニメーションディレクター
『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』シリーズ(13〜15・3DCGアニメーションディレクター
『D4DJ First Mix』(20・副監督
『D4DJ All Mix』(23・監督

近作情報

──CGディレクター、モデリングディレクター、アニメーションディレクター、監督と、さまざまな役職でお仕事をされています。

もともとサンジゲンがCGの会社なので、僕も最初はCG屋さんとしてスタートしたんです。ここ数年、CGを請け負うだけじゃなく、自社制作も進めようという方針が立って、会社から「多少は造詣が深いだろうし」ということで監督を半ば強制的にやらせてもらっています(笑)。
なので、いまの肩書きは「監督」です。去年初めてやったばかりなので、おこがましいと思うところはありますが。

──そんな鈴木さんのルーツからお聞きしたいのですが。

子どもの頃から絵を描くことは好きでした。映画に開眼したのは、月並みですけど『スター・ウォーズ』を観たときです。小学校4年生くらいですかね、あの頃は『スーパーマン』や『未知との遭遇』が次々に公開されていた。
その後、『機動戦士ガンダム』にも強烈なインパクトを受けて、すっかりアニメ、特撮好きになり、中学生の頃には8ミリで映画を撮ったりしていました。

──映画少年だったわけですね。

学校で上映もやりました。気づいたら大勢の生徒が観てくれていて、上映が終わった瞬間に拍手が沸き起こって……。

──どんな映画だったんですか?

SFです。ビームを合成したり、宇宙船のミニチュアをマスクで抜いてコマ撮りして、フィルムを巻き戻して今度は星空を撮る、とか。

──多重露光ですね。

いま思うと、一度に全部撮ってもあまり変わらなかった(笑)。その頃から「これを仕事にしたい」という気持ちが芽生えていました。
高校に上がったときには、日本映画学校(現・日本映画大学)に進学しようと決めていた気がします。

──ずいぶん計画的ですね。

取り寄せたパンフレットがよくできていて、「ちゃんとしてる」と、だまされたところもあるかもしれない(笑)。

その視線の先を
観客は観たくなる

──入学していかがでしたか?

中学、高校時代は、映画好きはクラスにひとりいればいい方で、映画の話なんて滅多にできなかった。ところが映画学校はまわり全員が映画好きだから「ここは天国だ」という感じでした。
あの頃ほどめちゃくちゃをやっていた時代はないし、実践的なことを多く学べた場所でもあります。

──印象に残った授業はありますか?

強烈だったのは、バリバリ現場の監督さんでもある佐藤武光先生
たとえばカット割の基礎。主人公が女のコの足に見惚れちゃうというシーンで、まず主人公の顔にカメラがグッと寄って、「次のカットは何を映すんだ?」と。正解は女のコの足なんです。主人公が「はっ」となる顔を映したら、その視線の先を観客は見たくなる。カット割りは、観客と登場人物の感情に乗せてやらなければ意味がない。当時はそんなことすらわかっていなかった。