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2025年3月16日

押田 興将

2024年に全世界配信されるや、
多くが熱中した映画『シティーハンター』。
大ヒット作を押田興将さんは
「僕がやってきた作品とは真逆」と振り返る。
数々の映画をプロデュースして
きたにもかかわらず、
プロデューサーを目指したことなど
一度もないと本人は打ち明けた。

プロフィール

押田 興将

oshida kosuke

69年神奈川県生まれ。日本映画学校4期 演出コース1992年卒。武重邦夫に師事を仰いだ後、オフィス・シロウズに参加、14年より代表取締役を務める。

【おもな作品】
39窃盗団 サンキューせっとうだん』(11・監督)
許されざる者』(13・ラインプロデューサー)
土を喰らう十二ヵ月』(22)
コットンテール』(23)
シティーハンター』(24)

近作情報

  • イクサガミ

    Netflixシリーズ
    イクサガミ

    監督/藤井道人 山口健人 山本透 原作/今村翔吾「イクサガミ」シリーズ(講談社文庫刊) 脚本/藤井道人 山口健人 八代理沙 出演/岡田准一 藤﨑ゆみあ 清原果耶 東出昌大 玉木宏 伊藤英明 制作プロダクション/オフィス・シロウズ 企画・製作/Netflix (日本/25)
    明治11年。深夜の京都・天龍寺に群がる、莫大な賞金を得る機会を与えられた志士たち292名。嵯峨愁二郎は、妻と子を病から救うため、命がけの遊戯ゲームへの参加を決意していた──。岡田准一が主演のみならず、プロデューサー、アクションプランナーを務める。25年11月〜Netflixにて世界独占配信
     
    公式サイト
    https://www.netflix.com/イクサガミ

──どんな子どもでしたか。

小学生の頃は問題児でした。前を向いて授業を受けた記憶がないんですよ。朝起きるとお腹が痛い。医者に「なんでもない」と言われて、それで学校に行く、というような感じでした。
ただ成績は良かったんです。体育と音楽以外はオール5だったし、授業を受けなくても100点を取ったりしていた。だから先生にもひどく嫌われていましたし、僕も学校が嫌いでした。先生との巡り合わせがよくなかった気がします。中学生に入ると、日々が血の海でしたし。

──校内暴力が激しかったんですか。

その逆で、不良たちの素行と教師の行き過ぎた指導が交互に問題になっていた時代の前で、僕のときは教師が強かった。中学に入ってすぐの12歳の子どもたちに対しても体罰は容赦なかったですから。悪い生徒が多かったこともあるんですけどね。
僕の場合は不良というより、「だらしない子ども」でした。上履きをちゃんと履かないとか、制服をちゃんと着ない、とか。
うちが裕福でないからだと思うんですけど、僕は中学校の制服を買ってもらえなかったんです。

──そうなんですか。

お袋は親戚からお古をもらってきてくれました。それは内側に龍が描いてある学生服。長ランとか中ランってあったじゃないですか。お袋はハイカラー(高い襟)を切って低くして、傷んだところを布でつぎ当てをしてくれて。帽子もツバが折れて割れている。でもそれが「夕やけ番長」みたいだったんです。
僕は「かっこいいな!」と大喜び。その姿を見て、勘違いしたお袋は「なんて健気なんだ」と思ったらしいけど(笑)。

──ホロリとしちゃったと(笑)。

中学入学を控えた春休み、友達を乗っけてふたり乗りしている自転車で事故を起こしました。車の陰から出たところ、反対車線の車にはねられて大怪我をしたんです。

──ドライバーの前方不注意?

急に飛び出した僕が完全に悪い。やがて中学入学を迎えたんですが、ただでさえ変形学生服なのに、ギブスをしているからちゃんと着られず、上から引っ掛けているでしょう? 不良っぽいわけですよ(笑)。それで先生や先輩たちから目をつけられてしまった。

──そうでしたか。

いわゆる不良は「ちゃんとやれよ」って感じで、かえって先生にかわいがられる。僕は嫌われていたし、学校に対していいイメージがなくて、本当に行きたくなかった。

4日間で終わった高校生活
バイクで峠攻めに興じる毎日

──それでも高校に進学したんですよね?

中3のときの担任が、担当した生徒全員を高校進学させていたんです。その記録を守りたいのか「とにかくどこかに願書を出せ」とせまってくる。抵抗したんですけど、結局締め切り最終日ギリギリに先生が願書を出しに行って工業高校を受験をすることになりました。出席日数は危なかったけれど、アテストがよかったので受かったのかな。

2025年3月16日

井上 奈津子

『ゴジラ-1.0』で
アメリカ音響効果監督組合主催による
ゴールデンリール賞の
外国語映画部門にノミネートされるなど、
国際的にも高い評価を得た井上奈津子さん。
どのように音響効果技師へと進んだのか、
その歩みを聞いた。

プロフィール

井上 奈津子

nakano ryota

1985年広島県生まれ。日本映画大学19期 音響クリエイターコース2007年卒。アルカブースに入社し、柴崎憲治に師事。現在はPlayful・Sound所属。

【おもな作品】
さがす』(22)
窓辺にて』(22)
ゴジラ-1.0』(23)
ゼンブ・オブ・トーキョー』(24)
知らないカノジョ』(25)

近作情報

  • おいしくて泣くとき

    おいしくて泣くとき

    監督/横尾初喜 原作/森沢明夫 脚本/いとう菜のは 出演/長尾謙杜 當真あみ / 安田顕 ディーン・フジオカ ほか 配給/松竹 (25/日本/109min)
    自ら営む食堂で、子ども食堂も運営している心也の脳裏には30年前の日々が焼き付いている──。幼い頃に母親を亡くした心也と、家に居場所がない夕花。ふたりは「ひま部」を結成し、互いの距離を縮めていく。ところがある事件が起こり──。25年4/4~全国公開

    ©2025映画「おいしくて泣くとき」製作委員会

     
    公式サイト
    https://movies.shochiku.co.jp/oishikute-nakutoki/

──音響効果とはどういうお仕事なのでしょう。

日本では、映像作品におけるセリフと音楽以外のすべての音を担当するのが音響効果技師の仕事になります。

──録音部との違いは?

録音部さんは、現場での録音作業から、それを製音して仕上げまでを担当されることが多いです。私たちは現場に行くことはなく、ポスプロから参加します。

──フォーリーもやられるのですか。

そうです。フォーリーは膨大な作業量になるので、大勢のフォーリーアーティストとの共同作業になります。私自身、フォーリーのみで作品に関わることも少なくありません。

──日本では「音響効果」という肩書きの人はどれぐらいいるのでしょう。

フォーリー収録をして、環境音、単発音まで、すべてを付けてミックスまでする人は本当に少ないです。

──ひとつの作品で音響効果チームは何人いるんですか?

『ゴジラ-1.0』は特殊な作品なので多かったですが、通常はフォーリー作業を除くと、ほぼひとりないしふたりです。

エンターテイメント好きなのに
毛色の違う日本映画学校へ

──映画の仕事に就きたいと思ったきっかけは?

小学校4年生のときに、父親がヤン・デ・ボン監督の『スピード』をVHSで観せてくれました。これがいまでも私の一番好きな映画です。
そこから、なんとなく面白そうだし、自分が初めて味わったワクワクドキドキした映画の世界で将来仕事をしてみたいなとずっと憧れていました。

2025年3月16日

小山 保徳

『ONE PIECE』視聴者から
「この回はいつもと違う」と声が上がった。
それは小山保徳さんが
コンテ演出を手がけた第1122話。
キャラクターの感情に寄り添った色遣いなど、
繊細かつダイナミックな演出が
なされていたのだ。
遅咲きを自認するつくり手の道のりをたどる。

プロフィール

小山 保徳

koyama yasunori

1976年東京都生まれ。日本映画学校11期 ビジュアルアーツコース1999年卒。 05年、東映アニメーションに入社。『ONE PIECE』には15年より演出として参加、第1031話(22)よりシリーズディレクターを務める。

【おもな作品】
トリコ』(演出助手、演出・11〜13)
金田一少年の事件簿R』(演出・15)
おしりたんてい』(演出・19)
ONE PIECE』(シリーズディレクター・22〜)

近作情報

  • テレビアニメ
    ONE PIECE

    原作/尾田栄一郎(集英社「週刊少年ジャンプ」連載) シリーズ構成/米村正二 声の出演/田中真弓 中井和哉 岡村明美 山口勝平 平田広明 大谷育江 山口由里子 木村昴 チョー 宝亀克寿 シリーズディレクター/伊藤聡伺 小山保徳 松實航 制作/フジテレビ 東映アニメーション (99〜/日本)
    ルフィを船長とする海賊〝麦わらの一味〟が仲間を増やしながら〝ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)〟を目指して続ける冒険を描く。2024年に放送25周年を迎えた国民的人気アニメ。エッグヘッド編は25年4月6日より夜11:15〜全国フジテレビ系列で放送中

    ©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

     
    公式サイト
    https://one-piece.com/

──肩書きは「アニメーション監督」でよろしいですか?

その通りですが、テレビアニメ『ONE PIECE』での表記は「シリーズディレクター」です。『ONE PIECE』は作品規模が大きいので、いま3人でシリーズディレクターをやっていて、そのうちのひとりが僕です。10人以上いる演出を取りまとめるポジションですね。

──3人の役割分担はあるんですか?

もちろん細かくは分担もありますけど、「シナリオはこの人」みたいな縦割りの分担はありません。基本的には3人全員でシナリオの打ち合わせに参加しますし、映像のチェックも一緒にやっています。アフレコやダビングなどの現場作業において分担が必要なときもありますが、監督陣の意思統一を計っていているので、誰がどこに出て行っても対応できるようにしています。

──いつからシリーズディレクターを?

2022年、『ワノ国編』(19〜23)の途中からです。3人のうちのひとりが別の作品に携わることになって、その抜けたところに入ることになりました。

半年をかけて映画を
撮った浪人時代

──映画少年だったんですか。

小学生のときはそれほどでもなかったですが、中学、高校になると、時間があれば映画ばかり観ていました。文芸坐など、名画座によく足を運んでいました。
洋画ももちろん観ましたが、日本映画がとくに好きで。ATGの特集を観たり。暗い映画を観ると気持ちが救われることがあるじゃないですか、「自分よりも暗い」みたいな(笑)。北野武監督など、90年代の日本映画も好きでした。

──自主映画も撮られていたそうですね。

撮ろうと思ったきっかけは『東京フィスト TOKYO FIST』です。もともと塚本監督の『鉄男』が大好きだったんですが、ぴあという雑誌のページの端に「塚本監督の新作『 BP(仮)』のエキストラ募集」という記事を見つけまして。高校の帰り道、友達と「行ってみようぜ」と学生服のまま後楽園ホールに駆けつけました。