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2023年3月25日

谷口 悟朗

2022年の興行収入ランキングで
トップに輝いた『ONE PIECE FILM RED』。
監督の谷口悟朗さんは、
経験と自身の確信に基づいて
道を切り拓く、
信念のつくり手だった。

プロフィール

谷口 悟朗

taniguchi goro

66年愛知県生まれ、日本映画学校1期映画演出コース1989年卒。メタバース上のブランドであるプロジェクト「Azuki」において24年、新たに始動するアニメアンソロジー「anthology series」では、クリエイティブプロデューサーとしてコンテンツを統括予定。

【おもな作品】
プラネテス』(03~04)
コードギアス』シリーズ(06~24)
ID-0』(17)
スケートリーディング☆スターズ』(21)
バック・アロウ』(21)
ONE PIECE FILM RED』(22)

近作情報

  • Enter The Garden
    エピソード1
    「The Waiting Man -待つ男-」

    クリエイティブプロデューサー/⾕⼝悟朗 監督/⼭元隼⼀ シリーズ構成/岸本卓 キャラクターデザイン/⻄村キヌ 声の出演/⻤頭明⾥ 杉⽥智和 アニメ制作/電通 Qzil.la IMAGICA Infos (25/日本 アメリカ/8min46sec)
    日本アニメ風のイラストとストリートスタイルを組み合わせた横顔のキャラクターが特徴的なNFTプロジェクト「Azuki」。『Enter The Garden』は、電通が「Azuki」を手がけるChiru Labsと共同で贈るアニメ作品。三部作からなるアンソロジーシリーズのうち、エピソード1に加え、エピソード2「Fractured Reflections」が公式サイトで公開中
     
    公式サイト
    https://www.azuki.com/

──高校時代から監督志向だったとのこと。映画をつくっていたんですか?

やっていたのは演劇です。
映画を撮るとなると8ミリですが、カメラや映写機、フィルム代に現像代……とにかくお金がかかる。うちは裕福ではなかったので、映画は撮りたくても、それができない。ぴあフィルムフェスティバルは当時もありましたけど、あんなの金持ちの集まりだと思っていました(笑)。
幸いにして安価な3本立ての名画座がありましたから、観るということではかなり観ていたと思います。

──日本映画学校(現・日本映画大学)を選んだのはなぜですか?

当時の映像業界は閉鎖的。高校時代、どうしたら道筋をつくれるか考えていました。
一方、アニメ誌にはスタジオの連絡先がふつうに載っていた。実写の方は無理でも、アニメ業界ならたどり着けるんじゃないか──。私が行きたいスタジオの連絡先は載っていなかったので、編集部に問い合わせたんです。

──教えてくれました?

断られました。当然ですよね(笑)。
その後わかったことですが、当時のスタジオが必要としていたのはアニメーターであって、それ以外は求めていなかった。もし連絡が取れたとしても、監督への道を開くことはできなかったんです。

映像にまつわる役職、ジャンルは
少しでも多く経験したかった

卒業後は何をやっていいのかわからなくてグラグラしていました。大学に行くことも考えたけど、まずはメシを食わないといけない。そこで地元・愛知県のテレビ局の孫請けみたいな会社でADのバイトを始めて、スポーツ中継からバラエティ、ドラマ、ニュース報道など、ひと通り携わりました。
テレビ局入社という選択肢は考えなかったですね。それはサラリーマンになる道であって、いくら映像に携わりたくても部署異動がある。テレビ局という組織を維持するための人材を求めているわけですから。
そんなときに「今村昌平さんが設立した学校が、日本映画学校に改称・改組する」と聞いたんです。一番魅力的だったのは、現場へのルート、ツテがあるということ。

──そうして進学されたと。

その前に生活費の問題があったので、一時期はホストをやることを考えました。ところが当時のホストにはスーツを買ったりする準備金が必要だった。そんな金があったらそもそも働くわけがない(笑)。
最終的には新聞奨学生制度を利用しました。新聞さえ配っていれば、住むところと食事は確保される。本当に助かりました。

2023年3月25日

山本 晃久

カンヌ国際映画祭、アカデミー賞で注目を集めた
『ドライブ・マイ・カー』。
プロデューサーを務めた山本晃久さんは、
スタジオコーディネーターから
プロデューサーへと
転身した異色の経歴を持つ。
その道のりにせまる。

プロフィール

山本 晃久

yamamoto teruhisa

81年兵庫県生まれ。日本映画学校第15期映画演出コース2003年卒。東宝映像美術、東宝スタジオサービス、C&Iエンタテインメント、ウォルト・ディズニー・ジャパンを経て、24年2月にキアロスクロを立ち上げ、代表を務める。

【おもな作品】
彼女がその名を知らない鳥たち』(17)
寝ても覚めても』(18)
スパイの妻〈劇場版〉』(20)
ドライブ・マイ・カー』(21)
ボクたちはみんな大人になれなかった』(21)

近作情報

  • ガンニバル season2

    監督/片山慎三 佐野隆英 大庭功睦 原作/二宮正明 プロデューサー/山本晃久 半田健 アソシエイトプロデューサー/山本礼二 脚本/大江崇允 廣原暁 出演/柳楽優弥 笠松将 吉岡里帆 高杉真宙 北香那 杉田雷麟 山下リオ 田中俊介 志水心音 吉原光夫 六角精児 中村梅雀 倍賞美津子 (25/日本)
    美しい村に隠された恐ろしい噂の真相を突き止めた駐在・阿川大悟は、脈々と受け継がれてきた“呪い”を断ち切ろうと立ち上がる。やがて、大悟、後藤家、警官隊、それぞれの思惑が絡み合う狂乱の戦いが始まる──。ヴィレッジ・サイコスリラー超大作がついに完結。
    Disney+で配信中

    ©2025 Disney and its related entities

    公式サイト
    https://www.disneyplus.com/

──映画が好きになったきっかけは?

祖父母に連れていってもらった『男はつらいよ』など、幼い頃から映画に親しんでいましたけど、明確に面白いと思ったのは小学5年生のときにテレビで観た『スタンド・バイ・ミー』です。
そこから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったりを自発的に観るようになりました。多くの映画人同様、自分もハリウッド映画が入り口でした。

──映画をつくろうと思ったのは?

中2ぐらいで映画の仕事に就くための進路を考えるようになりました。
ただその頃、僕は引きこもりだったんです。母子家庭で、おふくろはほぼ家におらず、だいたいひとり。自炊をして節約したお金で、近所のTSUTAYAで毎週のようにDVDを借りて観ていました。
上の兄弟ふたりは中卒で働いていたので、自分も卒業したら映画の業界に行くと思っていたんです。でも町の図書館で「○○の職業になるには」みたいな本を読んでみたら、映画業界に入りこむには専門学校に行った方がいいと書いてある。それで登校拒否モードを解除して、がんばって高校に通ったという感じです。

──中高生のときは映画について語れる仲間がいましたか?

多少はいたんですけど、当時は映画が自分の生活の一部になっていたので、話しても濃度がかけ離れていると感じていました。
親とも会話にならないので、倫理的、道徳的なこと、善悪や、善悪を超えたところの何もかも含めて映画が教えてくれた感覚があります。

映画好きな仲間たちと
作品づくりに取り組んだ3年間

──高校在学中に日本映画学校(現・日本映画大学)に行こうと思われた?

そうです。高2の夏に東京へ行って、いくつか専門学校の体験入学に参加したんです。日本映画学校は実習制作、卒業制作など、活発に映画をつくっている印象を持ちました。

2023年3月25日

瀧田 隆一

名作コミックを原作者・井上雄彦さん自らが
メガホンを取って映画化。
果たして『THE FIRST SLAM DUNK』は
大ヒットを記録した。
十数年もの期間、本作と関わってきた
編集の瀧田さんには
譲れないこだわりがある。

プロフィール

瀧田 隆一

takita ryuichi

83年東京都生まれ。日本映画学校20期編集コース2008年卒業。アクティブシネクラブを経てフリーランスに。22年よりKASSENに加入。

【おもな作品】
ドラマ/映画『鈴木先生』(11、13)
リトル・フォレスト』シリーズ(14、15)
羊と鋼の森』(18)
ちょっと思い出しただけ』(22)
THE FIRST SLAM DUNK』(22)

近作情報

  • この夏の星を見る

    監督/山元環 原作/辻村深月 脚本/森野マッシュ 出演/桜田ひより 配給/東映 (25/日本)
    2020年、コロナ禍のために部活動を制限された中高生たち。茨城県立砂浦第三高校の2年生・溪本亜紗は、リモート会議を駆使して同時に天体観測をする競技「スターキャッチコンテスト」に挑む──。25年7/4〜全国公開

    ©2025「この夏の星を見る」製作委員会

    公式サイト
    https://www.konohoshi-movie.jp/

──映画少年だったんですか?

「大の映画好き」というほどではないですが、高校生くらいからビデオをレンタルするようになりました。バラエティ番組やミュージックビデオなどもよく観ていたし、自分で撮影した素材を編集する作業も好きでした。
よく観ていた映画は『スターウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』など。それと岩井俊二監督の作品とかですね。ただ日本映画学校(現・日本映画大学)に入ってみたら、まわりの学生の映画知識がすごくて「全然かなわない」と感じましたけど(笑)。

──日本映画学校を選ばれたのはなぜですか?

「したいことがとくにないのに大学に行くのはどうだろう」と思って、高校を卒業したあと、カナダのバングーバーへ2年ほど語学留学したんです。「あわよくば海外で仕事を」とも考えていたのですが、行ってみたら逆に日本文化が気になり始めました。
やっぱり日本で映像の仕事がしたいっと思ったときに母の知人から「こういう学校があるよ」と紹介してもらったことがきっかけです。今村昌平という世界的な監督が校長だったことも後押しになりました。

腹の底をさらし合うなんて
経験したことがなかった

──2年次は編集コースを選ばれましたね。

当初は監督やプロデューサーに憧れていたのですが、やってみると撮影もライティングも、どの役割も楽しい。編集コースを選んだのは「合っている」という直感があったからですが、授業を通して、0から1をつくることよりも、「こう思うんだけど、どうしたらいいか」というお題から発想していく作業が楽しいと感じていたことが大きいです。
フィルムを切って繋げるとか、ひとりの作業が好きだったということもありました。編集によって作品の印象はガラリと変わるし、それを観たみんなが喜んでくれたことにも刺激を受けたんでしょうね。