ブログ

2022年3月22日

森 義仁

助監督として映画界に足を踏み入れたものの、
一転、映像ディレクターへ方向転換。
話題のCM、ミュージックビデオを
数多く手がけた後に、
ドラマ演出、そして映画監督への
道を切り拓いた森義仁さんの歩みを探る。

プロフィール

森 義仁

mori yoshihiro

82年三重県生まれ。日本映画学校15期2003年卒。映画の助監督として阪本順治、犬童一心、林海象らの作品などに参加。07年、サカナクション『三日月サンセット』でディレクターデビュー。フリーランスを経て、13年にAOI Pro.に入社。17年に退社し、CluB_A所属となる。

【おもな作品】
MV 欅坂46『避雷針』(17)
ドラマ『恋のツキ』(18)

近作情報

  • ボクたちはみんな大人になれなかった

    監督/森義仁  原作/燃え殻  脚本/高田亮  出演/森山未來 伊藤沙莉 東出昌大 SUMIRE 篠原篤 平岳大 片山萌美 高嶋政伸 ラサール石井 大島優子 / 萩原聖人 (21/日本/124min)
    志した小説家にはなれず、テレビ業界で働き続けてきた誠。46歳になり、二度と戻らない青春の日々を思い返す。その記憶は、原宿のカフェで会った文通相手のかおりまでさかのぼり、「君は大丈夫だよ。おもしろいもん」という言葉が甦る……。
    Netflixで配信中

    ©2021 C&Iエンタテインメント

    公式サイト
    https://www.bokutachiha.jp

──もともと映画好きだったんですか?

好きになったのは中学時代です。『スワロウテイル』が流行っていたりして、「映画を観ることがカッコいい」くらいのファッション的な感覚でした。
ただミニシアター系の映画って、三重県の津市だと観られない。シネコンもまだなかった。なのでレンタルビデオ屋で借りまくる、みたいなことをしていました。

──高校になって日本映画学校(現・日本映画大学)への進学を決めるわけですね。

そんなに勉強ができたわけでもなかったし、卒業したら地元で働くものだと思い込んでいたんですが、母が「あんた、1回東京に行きなさいよ」と。
母は東京モード学園の第一期生だったくらいに〝脱・田舎〟思考があった人で、いまとなってはありがたい言葉です(笑)。「たしかにこのまま地元にいるのもな……。じゃあ自分はなにが好きだったっけ?」と考えた結果、「映像に関わる仕事をしてみたい」。映画監督だとか具体的なイメージはなかったんですけどね。
検索してみたところ、出てきたのが日本映画学校と、あとひとつふたつくらいだったのかな。いまほど大学の映像学科はなかったです。

集中的に映画を浴びて
映画の観方の基礎が育まれた

──入学してみていかがでしたか。

映画通って感じの人が多かったし、どこかに闇を抱えているような人もけっこういた気がします。自分が思い描く〝一般的な大学生〟とは違う、いろんな人がいておもしろかったです。
「岩井俊二が好き」なんて言い出せない、「黒澤明が好き」だなんてむしろ恥ずかしい、という空気もありました。要はディープな人が多いから、〝ライト映画ファン〟と捉えられるんです。「好き」と言うなら、もう一言説明が必要、そういう感じでした(笑)。

──印象に残っている授業はありますか?

当時は今村昌平さんがご存命で、教壇に立たれたことがありました。
壇上から学生を叱咤したりして活力あふれる方なんですけど、見た目は弱々しい。講義を終えて、杖を片手に心もとない足取りで大教室を出ていくとき、僕の前で立ち止まっておっしゃったんです、「おまえ、死んだ魚の目をしてるぞ。大丈夫か」って。「いやいや、あなたに言われたくないよ」と返しました、心のなかで(笑)。

2022年3月22日

柳 圭介

2022年の冬休み映画で
ナンバーワンヒットとなった『劇場版 呪術廻戦 0』。
テレビシリーズに続き、今作の編集を手がけたのが柳圭介さんだ。
コミュニケーションから生まれる、その編集術とは。

プロフィール

柳 圭介

yanagi keisuke

81年神奈川県生まれ。日本映画学校15期映像編集コース2003年卒。08年、「柳編集室」を設立。

【おもな作品】
東京喰種 トーキョーグール』(14)
呪術廻戦』シリーズ(20〜)
キングダム』第5シリーズ(24)
らんま1/2』(24)
mono』(25)

近作情報

  • BULLET/BULLET

    原案・監督/朴性厚 原作/E&H production ギャガ シリーズ構成/金田一士 キャラクターデザイン・総作画監督/吉松孝博 声の出演/井上麻里奈 山路和弘 釘宮理恵 花澤香菜 関智一 折笠愛 瀬戸麻沙美 古川慎 茂木たかまさ 若井友希 ほか 製作/ギャガ アニメーション制作/E&H production (25/日本)
    文明が崩壊し、荒野となった近未来の世界。少年ギアはジャンク屋で働く裏で、4つの人格を持つロボットQu-0213、ギャンブル狂のシロクマとチームを組み、不当に奪われた品を取り返す”盗み屋”を営んでいた──。25年7/16〜ディズニープラス「スター」で配信開始

    ©E&H/GAGA

    公式サイト
    https://bullet-bullet.com/

──なぜ日本映画学校(現・日本映画大学)に入ろうと思ったのですか?

もともとは建築をやりたかったんですが、その分野の大学に行けなかったんです。改めて進路を考えたとき、映画業界を考えました。
というのも、僕の家では、テレビはダメだけど、映画は観てもいいという謎のルールがあって、よく観ていたんです。もちろん最初は映画が職業になるとは思えなかったのですが、雑誌で日本映画学校の存在を知ったんです。

──編集を目指そうと思ったきっかけは?

最初は監督志望でした。でも1年のとき、岡安先生の話を聞き編集も面白そうだなと思い編集コースを選びました。
もうひとつは、フリーの不安定な生活をしたくなかった。編集はスタジオに就職できて、固定給をもらえると聞いたことも大きかったです(笑)。

編集ばかりやっていても
編集はうまくならない

──授業には真面目に出ていたのですか?

僕らのときは、映画学校に行きながらバイトもどんどんしろと言われていました。授業中なのに岡安先生に車でバイトの面接に連れて行かれたこともありました(笑)。

2021年4月27日

中野 量太

商業映画一本目の
『湯を沸かすほどの熱い愛』で
数多くの映画賞を獲得した
中野量太監督。
だが、そこに至るまでの道筋は
決して平坦ではない。
歩みを進めることができたのは
初監督作品で得た興奮を
忘れられなかったからだった。

プロフィール

中野 量太

nakano ryota

1973年京都育ち。日本映画学校12期 2000年卒。卒業制作『バンザイ人生まっ赤っ赤。』(00)が、日本映画学校今村昌平賞を受賞、短編『ロケットパンチを君に!』(06)、『琥珀色のキラキラ』(08)が高い評価を得る。『チチを撮りに』(12)はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭で日本人初の監督賞を受賞し、ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に正式招待された後、国内外で14の映画賞に輝く。『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)は日本アカデミー賞で優秀作品賞ほか6部門を受賞。『浅田家!』(20)は日本アカデミー賞で優秀作品賞ほか8部門を受賞。
公式Webサイト: http://ryota-nakano.com/

【おもな作品】
『バンザイ人生まっ赤っ赤。』(00)
『ロケットパンチを君に!』(06)
『琥珀色のキラキラ』(09)
チチを撮りに』(12)
『沈まない三つの家』(13)
『お兄チャンは戦場に行った?!』(13)
湯を沸かすほどの熱い愛』(16)
長いお別れ』(19)
浅田家!』(20)
デリバリー2020』(20・ネット配信作品『緊急事態宣言』のなかの1本)

近作情報

  • 浅田家!

    監督・脚本/中野量太 原案/浅田政志「浅田家」「アルバムのチカラ」(ともに赤々舎) 脚本/菅野友恵 出演/二宮和也 黒木華 妻夫木聡 ほか (20/日本/127min)
    写真専門学校の卒業制作で学校長賞を受賞したものの、働かず、パチスロ三昧の日々を過ごす政志だったが、あるとき、家族全員でコスプレをした写真を撮り始める──。第44回日本アカデミー賞では最優秀助演女優賞(黒木華)ほか8部門を受賞。23年、フランスで公開され、口コミで評判が広がり、観客動員25万人を超えるヒットに。DVD通常版 ¥3,800+税/東宝

    ©2020「浅田家!」製作委員会

    公式サイト
    https://asadake.jp

──大学を卒業してから、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学されたんですね。

大学時代、まわりが就職活動を始める頃になっても、僕は就職する気がぜんぜん起こらなかったんです。スカバンドでアルトサックスを吹きながら、「いったい何がしたいんだろう」とずっと自問していました。
「表現して誰かを喜ばすことは好きだ、でも音楽ではないな」。「表現の最高峰って何だろう」と考えを巡らせた結果、「それは映画なんじゃないか」と。
映画少年でもなんでもなかったので、友だちからは「なんでお前が映画なんだ」って笑われましたけどね(笑)。

──学校で学ぼうと思った理由は?

無理やり自分を映画の道に押し込もうと思ったものの、どうしたらいいのかわからない。そこで「とりあえず学校かな」と。2校を見学して、なんとなく肌に合ったのが日本映画学校でした。

──現場のプロが講師としてたくさんいらっしゃいますからね。

それも僕、あまり知らなかったんです。今村昌平監督についても同様です。入学したら「『うなぎ』、カンヌのパルムドール受賞」って横断幕があって、「へぇ、すごい人なのかな」と思った程度でした。

この学校に入学した意味って
もしかしてコレなのでは?

──どんな学生時代でしたか?

1年生で、3年生の卒業制作上映会を観たときに「学生でもこんなものが撮れるんだ」って感動したんです。そのとき、「この学校に入ったからには卒業制作を監督として撮ることに意味があるんじゃないか」って僕は気づいちゃった。
まわりは気づいてなさそうでしたけど。高校を出たてのみんなと違って、大学も一浪して入った僕は5年も人生経験が長い分、目ざとかったのかもしれない(笑)。

──〝映画少年〟が多いなか、気後れすることは?

そこは全然大丈夫でした。むしろ今の方が、観ている数が少ないことに負い目を感じます。
卒制の上映会では制作チームがあいさつをするんです。暗いあいさつをするチームは作品もおもしろくない。一方、「観てください!」って生き生きしたチームのものはおもしろい。学生レベルだと、そこなんです。
仲間と一緒にひとつのものをどれだけ一生懸命のめり込んでつくり上げられるか、というところで差が出る。僕はずっと、どうやったら仲間をヤル気にして盛り上げられるか、ってことを考えていました。

──卒業制作を監督するのにはクラスで脚本が選ばれないといけないそうですね。

1、2年生の短編実習でも、クラスで脚本のコンペがありました。1年のときは同票の決選投票で選ばれず監督はできなかった。2年目も同票になり、決選投票で負け。そして3年生。卒業制作のコンペは、なんと同票1位で……。

2021年4月27日

神野 学

撮影された素材をもとにする実写と、
あらかじめ尺を決めて描かれた絵を
つなぐアニメーションでは、
編集作業も違いがありそうなもの。
だが神野学さんは「同じ」と考えている。

プロフィール

神野 学

kamino manabu

岐阜県生まれ。日本映画学校13期 編集コース2001年卒。ジェイ・フィルムを経て、ソニーPCLに入社。NHK、TBSのドキュメンタリー番組などにも携わっている。

【おもな作品】
劇場版 空の境界』(07~10)
Fate/Zero』(11、12)
劇場版 Fate/stay night [Heaven’s Feel]』(17~20)
Netflixシリーズ『鬼武者』(23)
TVアニメ鬼滅の刃』シリーズ(19~)

近作情報

  • 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編

    原作/吾峠呼世晴 監督/外崎春雄 キャラクターデザイン・総作画監督/松島晃 声の出演/花江夏樹 鬼頭明里 下野紘 松岡禎丞 日野聡 平川大輔 脚本制作・アニメーション制作/ufotable 配給/東宝 アニプレックス (2020/日本/117min)
    蝶屋敷での修業を終えた炭治郎と善逸、伊之助、そして禰豆子は、短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという「無限列車」に到着。鬼殺隊最強の剣士である〝柱〟のひとり、煉獄杏寿郎と合流し、鬼と立ち向かうのだった。
    ※禰豆子の「禰」は「ネ」+「爾」が正しい表記となります。
    ※煉獄の「煉」は「火」+「東」が正しい表記となります。

    ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

    公式サイト
    https://kimetsu.com/anime/

──日本映画学校(現・日本映画大学)に進学する前は、どんな映画に興味があったのですか?

どこにでもいるような映画好きの中高生で、洋画のアクション映画が好きでした。当時は『タイタニック』がヒットしていて、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』が大人気。個人的にはロバート・レッドフォードロバート・デ・ニーロが好きでよく観ていました。

──邦画はあまり観ていなかったのですか?

勧められて小津安二郎監督作品などは観ましたが、わびさびを理解できるような人間ではなかったので(笑)、当時の自分には難しかったです。

──この学校を選ばれたのはなぜでしょう?

地元のミニシアター系映画館で、たまたまチラシを見つけたんです。当時、勉強をみてもらっていた方に見せたら、「今村昌平監督の学校だったら間違いないよ」と。当時、今村昌平をよく知らなかったけど、「この人が言うなら間違いないんだろうな」と思って(笑)、試験を受けました。

自分をさらけださないと
物事が進まない

──入学してみて、どんな印象を?

社会人の方がいたりして、生徒の年齢層が広い。本当に映画が好きで、「映画とともに生きるんだ」という決意を持った人が多かった。だから、モノづくりをめぐって真剣なケンカをしているんです。これにはびっくりしました。

2020年4月2日

橋本 光二郎

2015年の年末に公開され、
大ヒットを記録した
青春映画『orange ─オレンジ─』。
メガホンを取ったのは、
名監督たちの作品群で
助監督の経験を積み上げ、
この作品で長編デビューを果たした
橋本光二郎さん。
作品づくりの根底にあるものは、
映画という文化への期待と信頼だ。

プロフィール

橋本 光二郎

hashimoto kojiro

1973年東京都生まれ。日本映画学校第9期脚本演出コース1997年卒。相米慎二、滝田洋二郎、冨樫森などの作品で助監督を務める。初のチーフ助監督は『ニライカナイからの手紙』(05、熊澤尚人監督)。深夜ドラマの演出作品に『Piece』『終電バイバイ』などがある。

【おもな作品】
『orange -オレンジ-』(15)
『羊と鋼の森』(18)
雪の華』(19)

近作情報

  • 小さな恋のうた

    小さな恋のうた

    監督/橋本光二郎 脚本/平田研也 出演/佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 眞栄田郷敦 鈴木仁 配給/東映 (19/日本/123min)
    MONGOL800のヒット曲「小さな恋のうた」から生まれた作品。日本とアメリカ、フェンスで隔てられたふたつの〝国〟が存在する沖縄を舞台に、バンドに情熱をかけた若者たちの青春を描く。DVD発売中/東映ビデオ

    ©2019「小さな恋のうた」製作委員会

     
    公式サイト
    http://www.chiikoi.com

僕が通っていた頃の日本映画学校(現・日本映画大学)は実習がメインで、職業訓練校のようなところがありました。おかげで、卒業してすぐ現場に入っても違和感がなかった。結果オーライ、ってだけなんですけど(笑)。

映画をつくるためには
こういう作業も必要なのか

実習では、たとえばクラスで2本作品をつくる。監督にはふたりしかなれないってことです。監督に選ばれなかったら、監督以外の仕事を受け持つということ。

それは録音部や助監督、プロデューサー的な役回りなど。そうなったときに、すねちゃう人もいるんです、「別にそういうことがやりたくて入学したわけじゃないのに」って。

そこで「映画をつくるためにはこういう作業も必要なんだ」って覚悟を決めてやっていた人の方が、いまも業界で残っている気がします。

実際のところで言うと、1年目の短編はクラス全員が監督を務めた記憶があります。2年目以降、卒業までに、機会はおそらく6回くらいあったと思うんですけど、僕が監督に選ばれたのはドキュメンタリー実習の1本だけでした。

卒業制作はクラスのみんなが書いた脚本から2本を選んで、それをつくる。脚本を採用された人が監督を務めるわけですが、僕の脚本は選ばれなかったので監督はできませんでした。

映画=エンターテイメントの
パーツのひとつになりたい

在学中に学んだことは「才能のあるヤツって、いるんだな」ってことです。同じ授業を受けているのに、明らかに上手い人や才能を感じる人がいる。そして「才能だけでやっていけるわけでもないんだな」とも気づかされました。

人間関係が築けない限り、「この人と一緒に撮りたい」と思われることはないじゃないですか。映画を撮るという団体行動を経て、人間関係の縮図みたいなものが際立って見えてきたんです。

幼い頃から才能に目覚めていく人もいるなか、僕は東京の下町の平凡な家庭に生まれて、平凡な生活を送ってきた。だからといって平凡に就職するのは嫌だなと思ったとき、そこに映画があった。

自分が監督として作品を発表していけたら最高ですけど、それよりまず、映画という文化の一部でありたいと思ったことがすべての発端です。歯車のひとつにでもなれれば、と思ったんです。

嗜好はSF、ミュージカル、
そして、人間ドラマへと

映画を好きになったのは中学生の頃です。それまでは親と行くものだったけど、友だちと一緒とか、ひとりで観に行くようになった。そのうちレンタルビデオ屋が普及して、昔の作品がいくらでも観られるようになってきた。

2020年4月2日

足立 紳

映画をつくる上で
最初に必要な設計図であり、
撮影中もスタッフ全員が
肌身離さず持ち歩くもの、
それが脚本。
『百円の恋』で日本アカデミー賞
最優秀脚本賞を受賞、
『14の夜』で映画監督デビュー、
以降、様々な作品を手がける
足立紳さんの仕事の醍醐味とは?

プロフィール

足立 紳

adachi shin

1973年鳥取県生まれ。日本映画学校第7期 演出コース1995年卒。助監督を経て、01年に村本天志監督の『MASK DE 41』で脚本家としてデビュー。12年に『百円の恋』が、第一回松田優作賞を受賞。15年に映画化され、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本、第17回菊島隆三賞を受賞した。16年に『14の夜』で映画監督デビュー。19年、『喜劇 愛妻物語』で第32回東京国際映画祭 コンペティション部門最優秀脚本賞を受賞。

【おもな作品】
キャッチボール屋』(05)
百円の恋』(14)
お盆の弟』(15)
『14の夜』(16・監督も)
嘘八百』(18)
志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(18)
きばいやんせ!私』(19)
こどもしょくどう』(19)
嘘八百 京町ロワイヤル』(20)
拾われた男』(22)

近作情報

  • ブギウギ

    脚本/足立紳 櫻井剛 演出/福井充広 二見大輔 泉並敬眞 鈴木航 盆子原誠 ほか 出演/趣里 製作/NHK (23-24/日本)
    連続テレビ小説『ブギウギ』。ヒロインは趣里。
    「東京ブギウギ」で知られる歌手・笠置シヅ子をモデルにして描く、戦後を明るく照らしたスターの物語。23年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」第109作目。
    NHKオンデマンドで配信中

    ©NHK

    公式サイト
    https://www.nhk.jp/p/boogie/ts/NLPYVZYM29/

もともとは脚本家志望ではなかったんです。漠然と映画の仕事をしたいと思って上京しました。当時は俳優と監督ぐらいしか思い浮かばなくて、日本映画学校(現・日本映画大学)の演出コースに通いながら、夜は俳優の学校にも通っていました。

中学生ぐらいのときに、親が「こんな学校がある」と、日本映画学校の存在を教えてくれたんです。受験をしたら受かったので、浪人するのもなんだなということで入学しました(笑)。授業は割と出ていましたが、ドキュメンタリーには興味がなくて、あまり授業に出なかった。いま思えばしっかりやっておけばよかったと思います。

プロの現場に出れば
こういう厳しさがあるんだろう

入学してすぐに農村実習がありました。とてもつらかったですね(笑)。まだ周囲とも友達ではなかったですし、各家庭に2、3人割り振られるんですけど、僕のところだけひとりでした。

しかも、行った先が本当に手伝いを必要としている農家で、ものすごくこき使われたことを覚えています(笑)。でも、3年間とても楽しかったです。

2年のとき、500フィート実習の指導講師が佐藤武光さんだったのですが、授業に遅刻したときは、むちゃくちゃ怒られました。業界では、おっかないことでは有名な人なんです。体育会系の部活をやっているんじゃないかと錯覚するような厳しさでした。でも、おそらくプロの現場に出れば、こういう厳しさがあるんだろうなと思いました。

シナリオを書くことが
近道ではなかった

卒業してすぐ、佐々木史朗さんの事務所に連れて行かれて将来のことを聞かれたんです。「助監督をしてみたい」と言ったら、「誰につきたいのか?」と聞かれて、大森一樹監督のファンだと言ったら、その場で電話をしてくれました。でも新作のクランクイン直前で、そこからついても勉強にならないということで、その話はなくなりました。

それから数ヶ月後に、また史朗さんから電話がかかってきて、「相米(慎二)が若い奴を探している。一度会ってみないか」と言われて、相米さんと会ったんです。映画をすぐに撮るわけではないけど、1年間ぐらいついてみないかと言われました。

僕は相米フリークではなかったですけど、それも正直に話したら「オレの映画なんか好きな奴じゃない方がいいんだ」とおっしゃって。「月にいくらあれば生活できるんだ」ということも聞かれ、相米さんから直に給料をもらうカタチでみたいなことを始めました。

2020年4月2日

藤本 賢一

映画における重要な要素、〈音〉。
現場、そして編集後のスタジオで、
その要素をすべてコントロールする
録音という仕事。
『八日目の蝉』『永遠の0』で
二度の日本アカデミー賞
最優秀録音賞を受賞した藤本賢一さんに
仕事の奥深さを聞いた。

プロフィール

藤本 賢一

fujimoto kenichi

日本映画学校第1期録音コース1989年卒。フリーの録音助手を経て、『タイヨウのうた』(06)で技師デビュー。『八日目の蝉』(11)、『永遠の0』(14)で日本アカデミー賞最優秀録音賞を受賞。『半世界』(19)で第74回毎日映画コンクール 録音賞を受賞。

【おもな作品】
『八日目の蝉』(11)
鍵泥棒のメソッド』(12)
映画 鈴木先生』(13)
永遠の0』(13)
『ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判』(15)
TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』(16)
海賊とよばれた男』(16)
DESTINY 鎌倉ものがたり』(17)
半世界』(19)
アルキメデスの大戦』(19)

近作情報

  • 52ヘルツのクジラたち


    監督/成島出 原作/町田そのこ 出演/杉咲花 志尊淳 配給/ギャガ (24/日本/136min)
    東京から海辺の街へと引越してきた三島貴瑚。彼女は母親からムシと呼ばれ、虐待されている少年と出会う。貴瑚もまた少女時代に母親から虐待をされた過去があった……。本屋大賞を受賞した小説の実写映画化作品。
    全国公開中

    ©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

    公式HP
    https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

高校時代は、文化祭の出し物として友人達と8ミリ映画をつくっていました。内容は、沼に人が落ちたり、友達がつきあってた彼女のお父さんのいらなくなった車にペイントして荒川に突き落としたり(笑)。

そんな感じで過ごしていたら、卒業が近いのに、進路が何も決まってなかった。そんなとき、ぴあに横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の広告が載っていて、友人の萩生田宏治から「行ってみれば」と言われたんです。

「文化祭みたいなことがずっと続けてできるような学校なら、いいじゃん」と願書を取りに行きました。でも、事務のお姉さんから「もう二次募集で、家に帰って書いていたら間に合わないわよ」と言われたので、その場で書きました。

志望コースは、演出、脚本、テレビドラマゼミと上から3つを選んだんですけど、「そこの枠はもう空いてない」と。

「じゃあ、なんと書けばいいんですか?」と聞いたら、「録音とドキュメンタリーと書いておきなさい」と言われました。だから、僕の人生は事務のお姉さんが決めたんです(笑)。この話を人にすると、だいたいがっかりされます(笑)。

「顔をつぶすわけにはいかない」
助手として現場に行きました

日本映画学校はほかの学校に比べて、プロの現場に軽く窓口が開いているんです。在学中は連続ドラマの現場へ手伝いに行ってました。

学校では友達同士だから、音を録るにしてもすべて対等。でも、プロの現場では、「もう音なんていいよ」と言われる場面もあったりする。それに対して「何言ってんの?」と思っても、上の人間から「いいよ、藤本」といさめられる。

そんな現場、面白いと思うはずがないですよね。だから、プロの現場に行くたびに、「学校生活はいい思い出にして、違う職業につこう……」と(笑)。

そんななか、師匠である本田孜さんに出会ってしまったんです。きっかけは、日本映画学校に実習の指導で来ていた横山博人監督が、紹介してくれて、挨拶したことからでした。そこで本田さんからいきなり「明日からマイクをつくってみますか」と言われました(笑)。

空気を読んだ結果、
ふたたび現場へと

こっちはもういい思い出にしようと考えているのに、横山監督はニコニコしながら「(本田さんが誘ってくれてるんだから)やってみろ」という顔をしてるわけですよ。そのムードは察することができたので、「はい、お願いします」と現場に出たわけです。

そのうち僕は本田さんの事務所に出入りするようになって、ほかの技師の方たちからも「次はオレの作品に来い」と。僕の選択は何もないまま割り振りされて、何の疑問も持たずに続けていた。そして、いまがあるわけです(笑)。

2020年4月2日

金勝 浩一

時代劇、SF、現代劇……。
作品の世界観がもっとも
ストレートに現れるのが美術だ。
脚本に書かれたものに始まって、
文字になっていない
細かな設定までをも
具現化していく作業。
映画からアトラクションまで、
幅広く作品を手がける
金勝さんに、気構えをお聞きする。

プロフィール

金勝 浩一

kanekatsu koichi

1963年東京都生まれ。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)第9期美術コース1985年卒。94年に阪本順治監督『トカレフ』で美術監督デビュー。以降、映画、CM、TV、ネット配信ドラマ、店舗、アトラクションなど、幅広い分野を手がけている。

【おもな映画作品】
『神様のカルテ』(11)
鍵泥棒のメソッド』(12)
『杉原千畝 スギハラチウネ』(15)
『チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話』(17)
6人の嘘つきな大学生』(24)
大きな玉ねぎの下で』(25)
ドールハウス』(25)

近作情報

  • 金子差入店

    監督・脚本/古川豪 出演/丸山隆平 真木よう子 三浦綺羅 川口真奈 岸谷五朗 名取裕子 寺尾聰 ほか 配給/ショウゲート (25/日本/125min)
    一家で差入店を営む金子。ある日、息子の幼なじみの女の子が殺害されるという凄惨な事件が発生する。家族がショックを受けるなか、「差し入れをしたい」と店を訪れたのは、犯人の母親。依頼を引き受けたものの、金子は疑問と怒りを日々募らせていく──。25年5/16〜全国公開

    ©2025「金子差入店」製作委員会

    公式HP
    https://kanekosashiireten.jp

10代の頃、スター・ウォーズシネスコで観て、映画が放つ世界観の大きさに憧れました。ほかにもいろいろなロードショーや、旧作の3本立てを名画座で観ているうちに、いつの間にか「映画をつくりたい」と決心していたように思います。

横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を選んだのは、創立者である今村昌平監督の「映画づくりは米づくりと同じ」という考え方に惹かれたから。

映画も米も、どんなに一生懸命つくったとしても、必ずしも出来が良くなるとは限らない。思い通りにいかないからこそ、結果が読めない面白さがある。その考え方が心に響いたし、あれから時間を経て何本もの作品に関わったいまでも「その通りだな」と感じる。

今村監督の『復讐するは我にあり』に圧倒されたことも大きかった。

「美術も演出しているんだ」
美術監督を目指すきっかけ

映画監督に憧れていたときもありましたが、画面に映っているもののなかで、役者以外のものはすべて「美術」であることに興味を感じたんです。役者の動線を考慮しなければ空間を構築できない、「美術も演出しているんだ」とわかってきて、美術監督を目指すようになりました。

映っているもの、装飾、小道具はもちろんのこと、衣装、メイクも美術だと僕は思っています。映画は総合芸術。ひとりの世界観ではつくれない。絵を描くことや、文化祭や学園祭で徹夜をしながらみんなと作業をするのも好きだったから、作品の世界観を具現化していくこの仕事に惹かれたんだと思います。

意見の中間を取ると
まったく面白くなくなる

場合によっては企画段階から相談されることもありますが、基本的に映画美術の仕事は、シナリオを渡されるところから始まります。監督との事前打ち合わせで根本的な世界観を共有してから、シナリオに書かれている文字を読み、原作があればそれをサブテキストにして、イメージをふくらませていきます。

たとえばパーティーのシーンがあったとします。会場はどこなのか。テーブルはいくつ必要か。何人? 背広、和服? 洋食、和食? どんな風に料理は並べられる? 立食か着席か。時間が経過するにつれて、どの料理がどれくらい減っていくのか。人の動きは?

脚本に書かれていなくても、映画の画面に映るものはたくさんある。それらをすべて具現化して、プレゼンのためのイメージデザイン画を手描きやパソコンで描いていきます。

2020年4月2日

今井 剛

編集とは、膨大な素材を
1本の映画へとつなぐお仕事。
『図書館戦争』『るろうに剣心』
シリーズや『AI崩壊』『劇場』
『窮鼠はチーズの夢を見る』など、
話題作を数多く手がける
今井剛さんの、
編集哲学の一端に触れてみた。

プロフィール

今井 剛

imai tsuyoshi

1969年静岡県生まれ。日本映画学校第4期編集コース1992年卒。JAY FILMを経て、04年、映像編集事務所 ルナパルクを設立。『GOD EATER』『ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~』などアニメーションの編集も手がけている。

【おもな作品】
るろうに剣心』シリーズ(12、14、21)
キングダム』シリーズ(19、22、23)
劇場』(20)
窮鼠はチーズの夢を見る』(20)
今際の国のアリス』シリーズ(20、22)
映画大好きポンポさん』(21)
流浪の月』(22)
THE LEGEND & BUTTERFLY』(22)

近作情報

  • 国宝

    監督/李相日 原作/吉田修一 脚本/奥寺佐渡子
    出演/吉沢亮 横浜流星 高畑充希 寺島しのぶ 渡辺謙 配給/東宝 (25/日本)
    任侠の一門に生まれ、抗争によって父を亡くした喜久雄。上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込んだ喜久雄は、半二郎の実の息子として生まれながらに将来を約束された俊介と出会う。二人はライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくが……。25年6/6~全国公開

    ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025 映画「国宝」製作委員会

    公式サイト
    https://kokuhou-movie.com/

中学校時代に『悪漢探偵』を観て、「アジアでこんなアクション映画がつくれるのなら日本でもできるはず」と感じたことが、映画界に興味を持ったきっかけです。

演出をやりたいと考え、当時3年制だった日本映画学校(現・日本映画大学)に進みました。

興味の向かう先は
映画づくりの最終プロセスへ

入学時は脚本・監督コースでしたが、物語の最終形を組み立てる編集という職務に興味が湧き、2年次に編集コースに転科したんです。

印象に残っていることのひとつは、(転科前の脚本・監督コースの)ゼミで佐藤武光先生がおっしゃった言葉。「ストリップ劇場の踊り子も、最初から裸では面白みがない。じらし方だったり、演出にはそういう感覚が必要」。興味深い発想だと感じました。

プロデビュー作は『妻はフィリピーナ』っていうドキュメンタリー。もともと卒業制作としてつくっていた作品なんですが、一般公開をするため、卒業後に追加撮影をして、その編集も僕が担当した、という流れです。

観たいと思ったときに
観たいものを提示する

編集とは、映像だけでなく、音楽も含めて、緩急をつけながら、お客さんの生理に沿った映像を仕上げる仕事。お客さんの視点に立つ、ということが求められます。

たとえば「何かを探していて、見つけた」というシーンなら、引きの画だけでなく、その物に寄った画も見せる。観客が「観たい」と思ったときに、観たいものを提示するということです。

作業をするにあたっては、現場でどういう映像が撮られたか、その素材があることがまず前提です。たとえば、女優さんのかわいい表情が撮れていたら、当然その画を使いたいと思いますよね? 「では、この表情を活かすために、どうカットをつなぐといいんだろう」と気にしだすと、……自ずと編集方法も見えてきます。

なので、俳優さんが発する力が弱いとヤル気が起きません……というのは冗談ですが(笑)、もし引きの画ばっかりだったら、全体の空気だけを伝えることになってしまう。

そこに、寄りのカットがあれば、「この表情、この目パチを使おう」とか、「目線をこう変えよう」「相手の言葉へこう反応する」などと、見せ方の可能性が広がります。