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2025年3月16日

押田 興将

2024年に全世界配信されるや、
多くが熱中した映画『シティーハンター』。
大ヒット作を押田興将さんは
「僕がやってきた作品とは真逆」と振り返る。
数々の映画をプロデュースして
きたにもかかわらず、
プロデューサーを目指したことなど
一度もないと本人は打ち明けた。

プロフィール

押田 興将

oshida kosuke

69年神奈川県生まれ。日本映画学校4期 演出コース1992年卒。武重邦夫に師事を仰いだ後、オフィス・シロウズに参加、14年より代表取締役を務める。

【おもな作品】
39窃盗団 サンキューせっとうだん』(11・監督)
許されざる者』(13・ラインプロデューサー)
土を喰らう十二ヵ月』(22)
コットンテール』(23)
シティーハンター』(24)

近作情報

  • イクサガミ

    Netflixシリーズ
    イクサガミ

    監督/藤井道人 山口健人 山本透 原作/今村翔吾「イクサガミ」シリーズ(講談社文庫刊) 脚本/藤井道人 山口健人 八代理沙 出演/岡田准一 藤﨑ゆみあ 清原果耶 東出昌大 玉木宏 伊藤英明 制作プロダクション/オフィス・シロウズ 企画・製作/Netflix (日本/25)
    明治11年。深夜の京都・天龍寺に群がる、莫大な賞金を得る機会を与えられた志士たち292名。嵯峨愁二郎は、妻と子を病から救うため、命がけの遊戯ゲームへの参加を決意していた──。岡田准一が主演のみならず、プロデューサー、アクションプランナーを務める。25年11月〜Netflixにて世界独占配信
     
    公式サイト
    https://www.netflix.com/イクサガミ

──どんな子どもでしたか。

小学生の頃は問題児でした。前を向いて授業を受けた記憶がないんですよ。朝起きるとお腹が痛い。医者に「なんでもない」と言われて、それで学校に行く、というような感じでした。
ただ成績は良かったんです。体育と音楽以外はオール5だったし、授業を受けなくても100点を取ったりしていた。だから先生にもひどく嫌われていましたし、僕も学校が嫌いでした。先生との巡り合わせがよくなかった気がします。中学生に入ると、日々が血の海でしたし。

──校内暴力が激しかったんですか。

その逆で、不良たちの素行と教師の行き過ぎた指導が交互に問題になっていた時代の前で、僕のときは教師が強かった。中学に入ってすぐの12歳の子どもたちに対しても体罰は容赦なかったですから。悪い生徒が多かったこともあるんですけどね。
僕の場合は不良というより、「だらしない子ども」でした。上履きをちゃんと履かないとか、制服をちゃんと着ない、とか。
うちが裕福でないからだと思うんですけど、僕は中学校の制服を買ってもらえなかったんです。

──そうなんですか。

お袋は親戚からお古をもらってきてくれました。それは内側に龍が描いてある学生服。長ランとか中ランってあったじゃないですか。お袋はハイカラー(高い襟)を切って低くして、傷んだところを布でつぎ当てをしてくれて。帽子もツバが折れて割れている。でもそれが「夕やけ番長」みたいだったんです。
僕は「かっこいいな!」と大喜び。その姿を見て、勘違いしたお袋は「なんて健気なんだ」と思ったらしいけど(笑)。

──ホロリとしちゃったと(笑)。

中学入学を控えた春休み、友達を乗っけてふたり乗りしている自転車で事故を起こしました。車の陰から出たところ、反対車線の車にはねられて大怪我をしたんです。

──ドライバーの前方不注意?

急に飛び出した僕が完全に悪い。やがて中学入学を迎えたんですが、ただでさえ変形学生服なのに、ギブスをしているからちゃんと着られず、上から引っ掛けているでしょう? 不良っぽいわけですよ(笑)。それで先生や先輩たちから目をつけられてしまった。

──そうでしたか。

いわゆる不良は「ちゃんとやれよ」って感じで、かえって先生にかわいがられる。僕は嫌われていたし、学校に対していいイメージがなくて、本当に行きたくなかった。

4日間で終わった高校生活
バイクで峠攻めに興じる毎日

──それでも高校に進学したんですよね?

中3のときの担任が、担当した生徒全員を高校進学させていたんです。その記録を守りたいのか「とにかくどこかに願書を出せ」とせまってくる。抵抗したんですけど、結局締め切り最終日ギリギリに先生が願書を出しに行って工業高校を受験をすることになりました。出席日数は危なかったけれど、アテストがよかったので受かったのかな。

2025年3月16日

井上 奈津子

『ゴジラ-1.0』で
アメリカ音響効果監督組合主催による
ゴールデンリール賞の
外国語映画部門にノミネートされるなど、
国際的にも高い評価を得た井上奈津子さん。
どのように音響効果技師へと進んだのか、
その歩みを聞いた。

プロフィール

井上 奈津子

nakano ryota

1985年広島県生まれ。日本映画大学19期 音響クリエイターコース2007年卒。アルカブースに入社し、柴崎憲治に師事。現在はPlayful・Sound所属。

【おもな作品】
さがす』(22)
窓辺にて』(22)
ゴジラ-1.0』(23)
ゼンブ・オブ・トーキョー』(24)
知らないカノジョ』(25)

近作情報

  • おいしくて泣くとき

    おいしくて泣くとき

    監督/横尾初喜 原作/森沢明夫 脚本/いとう菜のは 出演/長尾謙杜 當真あみ / 安田顕 ディーン・フジオカ ほか 配給/松竹 (25/日本/109min)
    自ら営む食堂で、子ども食堂も運営している心也の脳裏には30年前の日々が焼き付いている──。幼い頃に母親を亡くした心也と、家に居場所がない夕花。ふたりは「ひま部」を結成し、互いの距離を縮めていく。ところがある事件が起こり──。25年4/4~全国公開

    ©2025映画「おいしくて泣くとき」製作委員会

     
    公式サイト
    https://movies.shochiku.co.jp/oishikute-nakutoki/

──音響効果とはどういうお仕事なのでしょう。

日本では、映像作品におけるセリフと音楽以外のすべての音を担当するのが音響効果技師の仕事になります。

──録音部との違いは?

録音部さんは、現場での録音作業から、それを製音して仕上げまでを担当されることが多いです。私たちは現場に行くことはなく、ポスプロから参加します。

──フォーリーもやられるのですか。

そうです。フォーリーは膨大な作業量になるので、大勢のフォーリーアーティストとの共同作業になります。私自身、フォーリーのみで作品に関わることも少なくありません。

──日本では「音響効果」という肩書きの人はどれぐらいいるのでしょう。

フォーリー収録をして、環境音、単発音まで、すべてを付けてミックスまでする人は本当に少ないです。

──ひとつの作品で音響効果チームは何人いるんですか?

『ゴジラ-1.0』は特殊な作品なので多かったですが、通常はフォーリー作業を除くと、ほぼひとりないしふたりです。

エンターテイメント好きなのに
毛色の違う日本映画学校へ

──映画の仕事に就きたいと思ったきっかけは?

小学校4年生のときに、父親がヤン・デ・ボン監督の『スピード』をVHSで観せてくれました。これがいまでも私の一番好きな映画です。
そこから、なんとなく面白そうだし、自分が初めて味わったワクワクドキドキした映画の世界で将来仕事をしてみたいなとずっと憧れていました。

2025年3月16日

小山 保徳

『ONE PIECE』視聴者から
「この回はいつもと違う」と声が上がった。
それは小山保徳さんが
コンテ演出を手がけた第1122話。
キャラクターの感情に寄り添った色遣いなど、
繊細かつダイナミックな演出が
なされていたのだ。
遅咲きを自認するつくり手の道のりをたどる。

プロフィール

小山 保徳

koyama yasunori

1976年東京都生まれ。日本映画学校11期 ビジュアルアーツコース1999年卒。 05年、東映アニメーションに入社。『ONE PIECE』には15年より演出として参加、第1031話(22)よりシリーズディレクターを務める。

【おもな作品】
トリコ』(演出助手、演出・11〜13)
金田一少年の事件簿R』(演出・15)
おしりたんてい』(演出・19)
ONE PIECE』(シリーズディレクター・22〜)

近作情報

  • テレビアニメ
    ONE PIECE

    原作/尾田栄一郎(集英社「週刊少年ジャンプ」連載) シリーズ構成/米村正二 声の出演/田中真弓 中井和哉 岡村明美 山口勝平 平田広明 大谷育江 山口由里子 木村昴 チョー 宝亀克寿 シリーズディレクター/伊藤聡伺 小山保徳 松實航 制作/フジテレビ 東映アニメーション (99〜/日本)
    ルフィを船長とする海賊〝麦わらの一味〟が仲間を増やしながら〝ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)〟を目指して続ける冒険を描く。2024年に放送25周年を迎えた国民的人気アニメ。エッグヘッド編は25年4月6日より夜11:15〜全国フジテレビ系列で放送中

    ©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

     
    公式サイト
    https://one-piece.com/

──肩書きは「アニメーション監督」でよろしいですか?

その通りですが、テレビアニメ『ONE PIECE』での表記は「シリーズディレクター」です。『ONE PIECE』は作品規模が大きいので、いま3人でシリーズディレクターをやっていて、そのうちのひとりが僕です。10人以上いる演出を取りまとめるポジションですね。

──3人の役割分担はあるんですか?

もちろん細かくは分担もありますけど、「シナリオはこの人」みたいな縦割りの分担はありません。基本的には3人全員でシナリオの打ち合わせに参加しますし、映像のチェックも一緒にやっています。アフレコやダビングなどの現場作業において分担が必要なときもありますが、監督陣の意思統一を計っていているので、誰がどこに出て行っても対応できるようにしています。

──いつからシリーズディレクターを?

2022年、『ワノ国編』(19〜23)の途中からです。3人のうちのひとりが別の作品に携わることになって、その抜けたところに入ることになりました。

半年をかけて映画を
撮った浪人時代

──映画少年だったんですか。

小学生のときはそれほどでもなかったですが、中学、高校になると、時間があれば映画ばかり観ていました。文芸坐など、名画座によく足を運んでいました。
洋画ももちろん観ましたが、日本映画がとくに好きで。ATGの特集を観たり。暗い映画を観ると気持ちが救われることがあるじゃないですか、「自分よりも暗い」みたいな(笑)。北野武監督など、90年代の日本映画も好きでした。

──自主映画も撮られていたそうですね。

撮ろうと思ったきっかけは『東京フィスト TOKYO FIST』です。もともと塚本監督の『鉄男』が大好きだったんですが、ぴあという雑誌のページの端に「塚本監督の新作『 BP(仮)』のエキストラ募集」という記事を見つけまして。高校の帰り道、友達と「行ってみようぜ」と学生服のまま後楽園ホールに駆けつけました。

2024年3月10日

港 岳彦

映画、ドラマと次々に依頼を受け、
作品が途切れることのない
脚本家の港岳彦さん。
2023年には手がけた
映画3本、ドラマ1本が
立て続けに公開、放送。
平坦ならざるその道のりが
港さんの矜持を育んだ。

プロフィール

港 岳彦

minato takehiko

74年宮崎県生まれ。日本映画学校7期期1995年卒。24年4月より九州大学で教授を務める。

【おもな作品】
『あゝ、荒野 前篇・後編』(17)
『宮本から君へ』(19)
『アナログ』(23)
『正欲』(23)
『仮装儀礼』(23)
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(24)

近作情報

  • 連続ドラマW
    I,KILL

    監督/ヤングポール 服部大二 脚本/港岳彦 ばばたくみ 川滿佐和子 出演/木村文乃 田中樹 ほか 制作プロダクション/松竹撮影所 製作著作/WOWOW (25/日本/全6話)PG12相当
    関ヶ原の合戦から35年後の日本に突然、人を襲う化け物「群凶(Gun-kyou)」が現れ始める。忍びという過去を隠し平和に暮らしていたお凛は、血の繋がらない娘・トキを守るために壮絶な戦いに巻き込まれていくのだった。一方、人の意識を持ったまま群凶になってしまった”半群凶”の男・士郎はある人物を探していた──。25年5/18 22:00〜WOWOWにて放送・配信スタート
     
    公式サイト
    https://www.wowow.co.jp/drama/original/i-kill/

──脚本家の出発点はどこにあったのでしょう。

12歳のときに目を怪我して、半年間入院したことがあったんです。支援学級に通っていた弟のクラスの先生が「だったらこれを読め」と大量に本を持ってきてくれて、やることがないから、ずっとそれを読んでいました。
動物好きの僕を思ってか、ムツゴロウさんの本ばかりだったのですが、そのうち畑正憲が愛読しているという北杜夫のエッセイを取り寄せて読んだんです。そのエッセイを読むと、作家ってずいぶんだらしない毎日を送っている。それで「この職業、最高だな」と思って、物書きに憧れたのが最初です(笑)。
北杜夫は「トーマス・マンを読め」とか、いろんな作家の名前を挙げていて、文章を追っていくうち、中学に入る頃にはドストエフスキーに出会って、その世界観に圧倒されました。

──中学生には難しくなかったですか?

難しい部分もありますが、文体は平易なんですよ。高校に入って映画を観るようになって、映画と小説の中間ぐらいの仕事ってないかな?と考えたら、脚本家があった……振り返るとそんな感じなのかな?

──映画を観るようになったきっかけは?

すごくガラの悪い高校だったんです。勉強しなくていいといえば、しなくてもいい。「せっかくだから趣味でもつくろうかな」と思って映画を観始めました。
当時、『その男、凶暴につき』が公開されて、「監督たけし:北野組全記録」というメイキング本も出た。簡単に言うと、野沢尚さんの脚本を現場で武さんがいかにぶち壊したかという記録で(笑)、クリエイティブの面白さが全部詰まっていた。あの映画とその本の衝撃で、ダサい印象だった日本映画に可能性を感じたし、仕事として携わりたいと思いました。

「演劇活動」という実績は
アピール度が高いかもしれない

──最初から脚本家志望だったんですか?

当時は監督志望だったと思います。高2の頃には日本映画学校(現・日本映画大学)へ進みたいという気持ちになっていました。

──どこに惹かれたんでしょう。

資料に、でかでかと「人間を描く」と書いてあるのを見て「これだ!」と思うところがあったんです。よく見ると「高校時代、どんな活動をしていましたか」というチェック項目もある。思いついたのは「演劇をやれば、アピールできるんじゃないか?」。

──そこで演劇部の扉をたたいた、と。

ところが演劇部は廃部が決まっていて、部室は──いまだから言ってしまうと──喫煙所と化していました(笑)。

2024年3月10日

瀬古 浩司

『進撃の巨人』『BANANAFISH』
『呪術廻戦』『チェンソーマン』……。
瀬古浩司さんが脚本を手がけた
ヒットアニメ、話題のアニメは
枚挙にいとまがない。
時代の寵児とも言えるつくり手の
意外にも「行き当たりばったり」な軌跡。

プロフィール

瀬古 浩司

seko hiroshi

81年愛知県生まれ。日本映画学校15期 映画演出コース2003年卒。GAINAXを経てフリーに。

【おもな作品】
『進撃の巨人』シリーズ(13~23)
『BANANAFISH』(18)
『呪術廻戦』シリーズ(20〜)
『チェンソーマン』(22〜)
『WINDBREAKER』(24)
『ダンダダン』(24)

INFORMATION

  • ドロヘドロ

    原作/林田球(小学館「ゲッサン」刊) 監督/林祐一郎 シリーズ構成/瀬古浩司 声の出演/高木渉 近藤玲奈 堀内賢雄 細谷佳正 小林ゆう 高梨謙吾 富田美憂 アニメーション制作/MAPPA (20/日本/全12話)
    魔法によって顔をトカゲに変えられた記憶喪失の男・カイマンが、相棒・ニカイドウとともに、顔と記憶を取り戻す姿を描くダーク・ファンタジー。配信シリーズとして続編の制作が決定している。Blu-ray BOX 上下巻 通常版 ともに¥17,800+税/東宝
     

    ©2020 林田球・小学館/ドロヘドロ製作委員会

     
    公式サイト
    https://dorohedoro.net/

──もともと映画がお好きだったんですか。

母方の親戚に映画マニアの叔父さんという人がいまして、その叔父さんがダビングしたビデオが大量に家にあって、物心つく頃からのめり込んで観ていましたね。『グーニーズ』 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』 『スター・ウォーズ』 『スーパーマンⅡ 冒険篇』 『恐怖の報酬』 『ハタリ!』 『シャレード』 『荒野の七人』 『5つの銅貨』などなど……。
で、もうひとつの転機は中学校です。学生帽をしっかりかぶっていないとダメ、授業中にちょっとふざけたら椅子の上で正座、髪の毛が規定より少しでも長いとクラスメイトの前で切られる。体罰も普通にあったし、とにかく締めつけが厳しくて特等少年院みたいな学校でした。それで、映画を観たり漫画を読んだり音楽を聴いたりして、フィクションの世界に逃げ込むことで自分を保っていました。

──高校はどうだったんですか?

一転、すごく自由でした。ヴィレッジヴァンガードや、ちょっと背伸びしてシネマスコーレに通ったり、漫画喫茶に入り浸ったり、ライブハウスにAIRやナンバーガール、スーパーカー、ヤングパンチとかを観に行ったりして遊びまくった記憶があります。
それでいよいよ進学を検討する時期になるんですが、頭も悪かったし、自分のやりたいことはなんだろうと考えて「映画だ」と思い、映画の学校を探し始めました。すると父親が日本映画学校(現・日本映画大学)に関する新聞誌面を見かけて、「こんなのあるよ」と。読むと、映画学校卒業後に提携先のオーストラリアの大学に編入できると書いてある。

──映画に関する大学ですか?

全然関係ないです。経緯は不明ですが、僕が入学する年くらいから始まった制度らしくて、それも込みで「面白そうだ」と思いました。あとは件の映画マニアの叔父さんが川島作品や今村作品が好きで、その影響で僕も今村作品を何本か観ていたということもありましたね。

──それで日本映画学校に入学したわけですね。

はい。入って一番驚いたのは、「映画をつくるのって、こんなに超大変なんだ」ということでした。

これはちょっと
自分には合わないな

ロケ地を選んで許可を取って、役者さんの衣装とか小道具も用意して、カメラもフィルムなので「露出がどう」とか「フィートがなんたら」とか、もうわけがわからない。で、いざ撮影となったら室内なら照明を立てるんですが、「カメラ位置変えます」とか「次のカットにいきます」という度に照明を動かしてまたセッティングして……、ワンカット撮るために数十分、下手すれば1時間以上かかるわけです。映像と音を別々に撮(録)るってことすら知らなかったので、いま考えると「ちょっとは調べてから行けよ」って自分でも思いますけど(笑)。

──でもその気づきのおかげで、より制作にのめり込んでいったわけですよね?

いや、かなり初期の段階で「う~ん、これはちょっと自分には合わないな」と思い始めました(笑)。

2024年3月10日

鈴木 大介

2023年にアニメ『D4DJ All Mix』で
監督デビューした鈴木大介さん。
これまでに担った肩書きの多さは、
多才さの裏付けでもある。
それらすべてに共通しているのは
「つくることが好き」という原動力だ。

プロフィール

鈴木 大介

suzuki daisuke

69年茨城県生まれ。日本映画学校4期ドキュメンタリーコース1992年卒。06年設立のサンジゲンで取締役を務める。

【おもな作品】
映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ!世界をつなぐ★虹色の花(11・CG監督
『009 RE:CYBORG』(12・アニメーションディレクター
『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』シリーズ(13〜15・3DCGアニメーションディレクター
『D4DJ First Mix』(20・副監督
『D4DJ All Mix』(23・監督

近作情報

  • ニワトリ・ファイター

    原作者/桜谷シュウ 監督/鈴木大介 シリーズ構成/瀬古浩司 プロデューサー/ジョセフ・チョウ アニメーション制作/サンジゲン 企画/SOLA ENTERTAINMENT 製作/VIZ Media,ヒーローズ
    突如現れ、圧倒的な力で人類への攻撃を始めた “鬼獣(きじゅう)”と呼ばれる異形のモノ。 街を破壊され、絶望に暮れる人々。 誰もが諦めかけたその時、鬼獣に立ち向かう一つの影が! 「テメーら、トサカにきたぜ!!」 人類の前に降り立った、小さな希望。それは一羽のニワトリだった!!!!

    © Shu Sakuratani/Kino-HERO’s, VIZ Media

     
    公式サイト
    https://www.niwatori-fighter.net/

──CGディレクター、モデリングディレクター、アニメーションディレクター、監督と、さまざまな役職でお仕事をされています。

もともとサンジゲンがCGの会社なので、僕も最初はCG屋さんとしてスタートしたんです。ここ数年、CGを請け負うだけじゃなく、自社制作も進めようという方針が立って、会社から「多少は造詣が深いだろうし」ということで監督を半ば強制的にやらせてもらっています(笑)。
なので、いまの肩書きは「監督」です。去年初めてやったばかりなので、おこがましいと思うところはありますが。

──そんな鈴木さんのルーツからお聞きしたいのですが。

子どもの頃から絵を描くことは好きでした。映画に開眼したのは、月並みですけど『スター・ウォーズ』を観たときです。小学校4年生くらいですかね、あの頃は『スーパーマン』や『未知との遭遇』が次々に公開されていた。
その後、『機動戦士ガンダム』にも強烈なインパクトを受けて、すっかりアニメ、特撮好きになり、中学生の頃には8ミリで映画を撮ったりしていました。

──映画少年だったわけですね。

学校で上映もやりました。気づいたら大勢の生徒が観てくれていて、上映が終わった瞬間に拍手が沸き起こって……。

──どんな映画だったんですか?

SFです。ビームを合成したり、宇宙船のミニチュアをマスクで抜いてコマ撮りして、フィルムを巻き戻して今度は星空を撮る、とか。

──多重露光ですね。

いま思うと、一度に全部撮ってもあまり変わらなかった(笑)。その頃から「これを仕事にしたい」という気持ちが芽生えていました。
高校に上がったときには、日本映画学校(現・日本映画大学)に進学しようと決めていた気がします。

──ずいぶん計画的ですね。

取り寄せたパンフレットがよくできていて、「ちゃんとしてる」と、だまされたところもあるかもしれない(笑)。

その視線の先を
観客は観たくなる

──入学していかがでしたか?

中学、高校時代は、映画好きはクラスにひとりいればいい方で、映画の話なんて滅多にできなかった。ところが映画学校はまわり全員が映画好きだから「ここは天国だ」という感じでした。
あの頃ほどめちゃくちゃをやっていた時代はないし、実践的なことを多く学べた場所でもあります。

──印象に残った授業はありますか?

強烈だったのは、バリバリ現場の監督さんでもある佐藤武光先生
たとえばカット割の基礎。主人公が女のコの足に見惚れちゃうというシーンで、まず主人公の顔にカメラがグッと寄って、「次のカットは何を映すんだ?」と。正解は女のコの足なんです。主人公が「はっ」となる顔を映したら、その視線の先を観客は見たくなる。カット割りは、観客と登場人物の感情に乗せてやらなければ意味がない。当時はそんなことすらわかっていなかった。

2023年3月25日

谷口 悟朗

2022年の興行収入ランキングで
トップに輝いた『ONE PIECE FILM RED』。
監督の谷口悟朗さんは、
経験と自身の確信に基づいて
道を切り拓く、
信念のつくり手だった。

プロフィール

谷口 悟朗

taniguchi goro

66年愛知県生まれ、日本映画学校1期映画演出コース1989年卒。メタバース上のブランドであるプロジェクト「Azuki」において24年、新たに始動するアニメアンソロジー「anthology series」では、クリエイティブプロデューサーとしてコンテンツを統括予定。

【おもな作品】
プラネテス』(03~04)
コードギアス』シリーズ(06~24)
ID-0』(17)
スケートリーディング☆スターズ』(21)
バック・アロウ』(21)
ONE PIECE FILM RED』(22)

近作情報

  • Enter The Garden
    エピソード1
    「The Waiting Man -待つ男-」

    クリエイティブプロデューサー/⾕⼝悟朗 監督/⼭元隼⼀ シリーズ構成/岸本卓 キャラクターデザイン/⻄村キヌ 声の出演/⻤頭明⾥ 杉⽥智和 アニメ制作/電通 Qzil.la IMAGICA Infos (25/日本 アメリカ/8min46sec)
    日本アニメ風のイラストとストリートスタイルを組み合わせた横顔のキャラクターが特徴的なNFTプロジェクト「Azuki」。『Enter The Garden』は、電通が「Azuki」を手がけるChiru Labsと共同で贈るアニメ作品。三部作からなるアンソロジーシリーズのうち、エピソード1に加え、エピソード2「Fractured Reflections」が公式サイトで公開中
     
    公式サイト
    https://www.azuki.com/

──高校時代から監督志向だったとのこと。映画をつくっていたんですか?

やっていたのは演劇です。
映画を撮るとなると8ミリですが、カメラや映写機、フィルム代に現像代……とにかくお金がかかる。うちは裕福ではなかったので、映画は撮りたくても、それができない。ぴあフィルムフェスティバルは当時もありましたけど、あんなの金持ちの集まりだと思っていました(笑)。
幸いにして安価な3本立ての名画座がありましたから、観るということではかなり観ていたと思います。

──日本映画学校(現・日本映画大学)を選んだのはなぜですか?

当時の映像業界は閉鎖的。高校時代、どうしたら道筋をつくれるか考えていました。
一方、アニメ誌にはスタジオの連絡先がふつうに載っていた。実写の方は無理でも、アニメ業界ならたどり着けるんじゃないか──。私が行きたいスタジオの連絡先は載っていなかったので、編集部に問い合わせたんです。

──教えてくれました?

断られました。当然ですよね(笑)。
その後わかったことですが、当時のスタジオが必要としていたのはアニメーターであって、それ以外は求めていなかった。もし連絡が取れたとしても、監督への道を開くことはできなかったんです。

映像にまつわる役職、ジャンルは
少しでも多く経験したかった

卒業後は何をやっていいのかわからなくてグラグラしていました。大学に行くことも考えたけど、まずはメシを食わないといけない。そこで地元・愛知県のテレビ局の孫請けみたいな会社でADのバイトを始めて、スポーツ中継からバラエティ、ドラマ、ニュース報道など、ひと通り携わりました。
テレビ局入社という選択肢は考えなかったですね。それはサラリーマンになる道であって、いくら映像に携わりたくても部署異動がある。テレビ局という組織を維持するための人材を求めているわけですから。
そんなときに「今村昌平さんが設立した学校が、日本映画学校に改称・改組する」と聞いたんです。一番魅力的だったのは、現場へのルート、ツテがあるということ。

──そうして進学されたと。

その前に生活費の問題があったので、一時期はホストをやることを考えました。ところが当時のホストにはスーツを買ったりする準備金が必要だった。そんな金があったらそもそも働くわけがない(笑)。
最終的には新聞奨学生制度を利用しました。新聞さえ配っていれば、住むところと食事は確保される。本当に助かりました。

2023年3月25日

山本 晃久

カンヌ国際映画祭、アカデミー賞で注目を集めた
『ドライブ・マイ・カー』。
プロデューサーを務めた山本晃久さんは、
スタジオコーディネーターから
プロデューサーへと
転身した異色の経歴を持つ。
その道のりにせまる。

プロフィール

山本 晃久

yamamoto teruhisa

81年兵庫県生まれ。日本映画学校第15期映画演出コース2003年卒。東宝映像美術、東宝スタジオサービス、C&Iエンタテインメント、ウォルト・ディズニー・ジャパンを経て、24年2月にキアロスクロを立ち上げ、代表を務める。

【おもな作品】
彼女がその名を知らない鳥たち』(17)
寝ても覚めても』(18)
スパイの妻〈劇場版〉』(20)
ドライブ・マイ・カー』(21)
ボクたちはみんな大人になれなかった』(21)

近作情報

  • ガンニバル season2

    監督/片山慎三 佐野隆英 大庭功睦 原作/二宮正明 プロデューサー/山本晃久 半田健 アソシエイトプロデューサー/山本礼二 脚本/大江崇允 廣原暁 出演/柳楽優弥 笠松将 吉岡里帆 高杉真宙 北香那 杉田雷麟 山下リオ 田中俊介 志水心音 吉原光夫 六角精児 中村梅雀 倍賞美津子 (25/日本)
    美しい村に隠された恐ろしい噂の真相を突き止めた駐在・阿川大悟は、脈々と受け継がれてきた“呪い”を断ち切ろうと立ち上がる。やがて、大悟、後藤家、警官隊、それぞれの思惑が絡み合う狂乱の戦いが始まる──。ヴィレッジ・サイコスリラー超大作がついに完結。
    Disney+で配信中

    ©2025 Disney and its related entities

    公式サイト
    https://www.disneyplus.com/

──映画が好きになったきっかけは?

祖父母に連れていってもらった『男はつらいよ』など、幼い頃から映画に親しんでいましたけど、明確に面白いと思ったのは小学5年生のときにテレビで観た『スタンド・バイ・ミー』です。
そこから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったりを自発的に観るようになりました。多くの映画人同様、自分もハリウッド映画が入り口でした。

──映画をつくろうと思ったのは?

中2ぐらいで映画の仕事に就くための進路を考えるようになりました。
ただその頃、僕は引きこもりだったんです。母子家庭で、おふくろはほぼ家におらず、だいたいひとり。自炊をして節約したお金で、近所のTSUTAYAで毎週のようにDVDを借りて観ていました。
上の兄弟ふたりは中卒で働いていたので、自分も卒業したら映画の業界に行くと思っていたんです。でも町の図書館で「○○の職業になるには」みたいな本を読んでみたら、映画業界に入りこむには専門学校に行った方がいいと書いてある。それで登校拒否モードを解除して、がんばって高校に通ったという感じです。

──中高生のときは映画について語れる仲間がいましたか?

多少はいたんですけど、当時は映画が自分の生活の一部になっていたので、話しても濃度がかけ離れていると感じていました。
親とも会話にならないので、倫理的、道徳的なこと、善悪や、善悪を超えたところの何もかも含めて映画が教えてくれた感覚があります。

映画好きな仲間たちと
作品づくりに取り組んだ3年間

──高校在学中に日本映画学校(現・日本映画大学)に行こうと思われた?

そうです。高2の夏に東京へ行って、いくつか専門学校の体験入学に参加したんです。日本映画学校は実習制作、卒業制作など、活発に映画をつくっている印象を持ちました。

2023年3月25日

瀧田 隆一

名作コミックを原作者・井上雄彦さん自らが
メガホンを取って映画化。
果たして『THE FIRST SLAM DUNK』は
大ヒットを記録した。
十数年もの期間、本作と関わってきた
編集の瀧田さんには
譲れないこだわりがある。

プロフィール

瀧田 隆一

takita ryuichi

83年東京都生まれ。日本映画学校20期編集コース2008年卒業。アクティブシネクラブを経てフリーランスに。22年よりKASSENに加入。

【おもな作品】
ドラマ/映画『鈴木先生』(11、13)
リトル・フォレスト』シリーズ(14、15)
羊と鋼の森』(18)
ちょっと思い出しただけ』(22)
THE FIRST SLAM DUNK』(22)

近作情報

  • この夏の星を見る

    監督/山元環 原作/辻村深月 脚本/森野マッシュ 出演/桜田ひより 配給/東映 (25/日本)
    2020年、コロナ禍のために部活動を制限された中高生たち。茨城県立砂浦第三高校の2年生・溪本亜紗は、リモート会議を駆使して同時に天体観測をする競技「スターキャッチコンテスト」に挑む──。25年7/4〜全国公開

    ©2025「この夏の星を見る」製作委員会

    公式サイト
    https://www.konohoshi-movie.jp/

──映画少年だったんですか?

「大の映画好き」というほどではないですが、高校生くらいからビデオをレンタルするようになりました。バラエティ番組やミュージックビデオなどもよく観ていたし、自分で撮影した素材を編集する作業も好きでした。
よく観ていた映画は『スターウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』など。それと岩井俊二監督の作品とかですね。ただ日本映画学校(現・日本映画大学)に入ってみたら、まわりの学生の映画知識がすごくて「全然かなわない」と感じましたけど(笑)。

──日本映画学校を選ばれたのはなぜですか?

「したいことがとくにないのに大学に行くのはどうだろう」と思って、高校を卒業したあと、カナダのバングーバーへ2年ほど語学留学したんです。「あわよくば海外で仕事を」とも考えていたのですが、行ってみたら逆に日本文化が気になり始めました。
やっぱり日本で映像の仕事がしたいっと思ったときに母の知人から「こういう学校があるよ」と紹介してもらったことがきっかけです。今村昌平という世界的な監督が校長だったことも後押しになりました。

腹の底をさらし合うなんて
経験したことがなかった

──2年次は編集コースを選ばれましたね。

当初は監督やプロデューサーに憧れていたのですが、やってみると撮影もライティングも、どの役割も楽しい。編集コースを選んだのは「合っている」という直感があったからですが、授業を通して、0から1をつくることよりも、「こう思うんだけど、どうしたらいいか」というお題から発想していく作業が楽しいと感じていたことが大きいです。
フィルムを切って繋げるとか、ひとりの作業が好きだったということもありました。編集によって作品の印象はガラリと変わるし、それを観たみんなが喜んでくれたことにも刺激を受けたんでしょうね。

2022年3月22日

池田 直人

コントでさまざまな女性を演じるだけでなく、
メイク術や化粧品に関する動画配信を行い
人気を博しているレインボー・池田直人さん。
注目の若手芸人、そのルーツに触れてみた。

プロフィール

池田 直人

ikeda naoto(レインボー)

93年大阪府生まれ。日本映画大学2期2016年卒。東京NSC18期生。16年にジャンボたかおとレインボーを結成、21年、『千鳥のクセがスゴいネタ GP』(フジテレビ)のコントシリーズ「ひやまとみゆき」で注目を集める。23年、『THE CONTEへの道』(フジテレビ)優勝。令和5年度『 NHK 新人お笑い大賞 』本選出場。

【おもな作品】
レインボーコントチャンネル』(YouTube)
おはスタ』(テレビ東京・木曜日レギュラー)
劇場版 ほんとうにあった怖い話~事故物件芸人4~』(22)

近作情報

  • レインボー池田直人の美しちゃんねる

    YouTubeで19年に開設した動画配信。美容法を紹介するシリーズや、卓越したメイク術で男性芸人を美しい女性へと変貌させていくシリーズなどをアップ中。

    https://www.youtube.com/@ikenao0919

──芸人を目指すきっかけはなんですか?

小学校でお笑い部をつくってみんなを笑かせてたってところからスタートしていると思います。

──人気者だったんですね。

休み時間にクラスを回ってギャグを見せたり、落語を一本暗記して披露したり。応援団長をやったこともありました。
これは高校のときかな? みんな元素の周期表を覚えられへんから、僕が「♪水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素!」って歌をつくって踊ったんです。そしたらみんな、笑ってくれて、覚えて、テストでいい点数をとれた。先生からも感謝されました(笑)。そういう経験が出発点です。

──さぞかしモテたことでしょう。

いや~モテないですよ。女子的に〝彼氏がピエロ〟は嫌でしょ?
それに……中学校はふたつの小学校区が一緒になったんです。僕のいた東小学校のみんなは「コイツおもろいねん、みんな見てや」って言ってくれるけど、西小学校の出身者は「どこが?」。
西の子たちに「自分、授業中うるさいのわかってる?」とかって軽くシメられたこともあった。中1、中2は生き方、ムズかったです。